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アルフレッド・ヒッチコック、ハリウッド進出第二弾『海外特派員』の尋常ではない面白さ

(c)1940 STUDIOCANAL

アルフレッド・ヒッチコック、ハリウッド進出第二弾『海外特派員』の尋常ではない面白さ

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開戦直後の世界情勢を背景にした極上サスペンス



 B級映画の範疇にあった『海外特派員』が大反響を巻き起こした理由には、その映画としての面白さと共に、刻一刻と変化する世界情勢も介在していたように思う。


 ざっと時代を俯瞰してみよう。ナチス・ドイツのポーランド侵攻によって第二次大戦が勃発するのは1939年9月1日。そこからヨーロッパ戦線が拡大していく中で、本作は1940年の3月半ばから6月5日までの日程で撮影が行なわれた。これはクリスフトファー・ノーラン監督が描いたことで記憶に新しい“ダンケルクの戦い”ともちょうど時期が重なる。このころ、ヨーロッパのあらゆる場所が危険にさらされ、『海外特派員』の第2撮影班がロンドンからアムステルダムへ向かう最中には列車が爆破され、撮影機材を一式失うといった事態にも見舞われたそうだ。まさに命がけの映画作りである。



『海外特派員』(c)1940 STUDIOCANAL


 これに呼応するように、物語は開戦前夜のきな臭い時期、一人のアメリカ人記者が和平交渉のキーマンである老政治家を取材しようとアムステルダムを訪れるところから始まる。だが、ここで事態は急展開。老政治家は公衆の面前で暗殺され、記者はその背後に巨大な組織の影を感じ取る。やがてあらゆる和平交渉は失敗に終わり、ヨーロッパはついに開戦を迎えることに————。


 この後、ラストではロンドン空襲などの模様もわずかに盛り込まれる。なんという即時性。本作のアメリカ公開は1940年の8月中旬なので、当時のアメリカ国民にとっては、まさに大西洋を隔てた場所でリアルタイムに起こっている出来事が、劇映画へと形を変えて突きつけられた格好だ。当時のニュース映画にも劣らぬほどの臨場感あふれる内容が、そこにはダイナミックに息づいていたわけである。



リアルな<らしさ>に縛られない映画作りを目指す



 とはいえ、本作を鑑賞しながら一つ気付いたことがある。どうやら「リアルタイムであること」と「リアルであること」は大きく違うらしいのだ。少なくともヒッチコックはそこに大きな線引きを行っている様子がありありと伺える。


 書籍「映画術」における彼の主張を要約すると、それは、


 「この映画は純粋なお遊びだからね。お遊びである以上、特に<らしさ>には縛られたくない。そのため本作は、いかにもリアルな<らしさ>なんてものが醜い顔をさらけ出さないように、細心の注意を払って作られた」(P.125)


 という内容になるだろう。


 ヒッチコックは、小難しさやアイディアをどんどんそぎ落として単純化していく。こうやってアイテムや事件の裏側や謎解きにこだわるのではなく、むしろそれをめぐる攻防や展開、ジェットコースターのような動線などの“見せ方”によって観客の体験性を高めようとする。こちらの方がヒッチコックにとって百倍も千倍も重要なことだったように思えてならない。



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