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『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』偽名と移動にまつわる物語

TM & (C) 2002 DREAMWORKS L.L.C. ALL RIGHTS RESERVED.(C) 2012 DW Studios L.L.C. All Rights Reserved.

『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』偽名と移動にまつわる物語


なりすましによって動き出す冒険



 さて、本作を短く要約すれば、「偽名と移動にまつわる物語」と呼べるだろう。偽の名前を騙って別人を演じ、ひとたび危険を察知すれば移動する。『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』はまさに「偽名と移動」の繰りかえしによって成立している。こうした「偽名と移動」は、実はアメリカ文学において幾度も描かれたモチーフである。


 例を挙げれば、マーク・トウェインの小説『ハックリベリー・フィンの冒険』は、まさに「偽名と移動」を描いた小説だと言えるだろう。父親の暴力に耐えかねて家を出たハックリベリー・フィン(以下ハック)は、黒人奴隷ジムと共にミシシッピ川を下る逃亡の旅に出る。物語は、仲間のジムと共に筏で川を下っていくハックの「冒険」を描いていく。



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 ハックとジムは、共に命からがらその場を逃げ出すほかない弱い立場であり、道中で出会う人びとに対してことごとく偽名を使う。ジョージ・ジャクソン、ジョージ・ピーターズ、あるいはセイラ・ウィリアムズ(女性の名前すら使う)といったさまざまな偽名を用いて、どうにかみずからの痕跡を消そうとするハック。彼は人と会えば、ほとんど反射的に偽名を口にするほかない。こうしたハックの習性について、翻訳家の柴田元幸はこのように述べている。


 「『ハックルベリー・フィンの冒険』というタイトルは、ある意味で逆説的である。なぜなら、ハックが経験するさまざまな『冒険』において、ハックはほとんどハック以外の他の人物になりすましているからだ。田舎娘、職人の見習い、離散した百姓一家の息子、イギリス人従者……等々さまざまな『役割』を演じることがハックの『冒険』を生む。ハックルベリー・フィンの『冒険』とは、ハックがハックでなくなることによって成り立っている」

(柴田元幸『アメリカン・ナルシス メルヴィルからミルハウザーまで』東京大学出版会)


 なりすましによって動き出す冒険。この指摘はまさに、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』論としても成立する。「さまざまな『役割』を演じることがハックの『冒険』を生む。ハックルベリー・フィンの『冒険』とは、ハックがハックでなくなることによって成り立っている」とは言い得て妙だ。



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 アバグネイルも同様である。シークレットサービス、バリー・アレン。医師、フランク・コナーズ。彼が騙った偽名もまた、冒険に不可欠だ。自分が自分でなくなることで成立する冒険の物語。ミシシッピ川をどこまでも移動していく少年ハックは、世界中で偽造小切手を乱発しながら逃走をつづけるアバグネイルにとてもよく似ている。彼らには帰る家がない。


 アバグネイルの家出は、両親が離婚し、弁護士に「父と母、どちらと住むかを選べ」と迫られたことに端を発する。捜査官ハンラティから「電話できる相手がいないんだろう」と図星の指摘をされる場面は、彼が帰るべき場所を失って彷徨うほかない孤独をみごとに描写している。



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