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『追憶』ラブロマンスかポリティカルか、シドニー・ポラックと脚本家との攻防とは

(c)Photofest / Getty Images

『追憶』ラブロマンスかポリティカルか、シドニー・ポラックと脚本家との攻防とは

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愛と主義のせめぎ合い



 1930年代の後半。レストランと印刷所でアルバイトしながら大学に通うケイティは、勉強と反政府運動を掛け持ちする身。縮れ毛にアイロンも当てず、ビールを音を立ててすする、見た目もマナーも気にしないケイティにとって、セレブグループの人気者で文武両道を貫くハベルは眩しい存在だ。一方、恵まれた環境で温々と生きるハベルも、周囲の目など気にせずイデオロギーを優先するケイティを、秘かに眩しく感じていた。


 そんな2人がニューヨークで再会する。ケイティは懐かしさのあまりハベルを自宅に誘い、初めて一夜を共にする。そこから、2人の交際が始まった。しかし、所詮は違う世界に生きる者同士。ある時、ハベルの大学時代からのノンポリ仲間たちのパーティに誘われたケイティは、彼らの軽薄なやり取りに我慢できず、場のムードをぶち壊しにしてしまう。ハベルはケイティのあまりの一途さについて行けず、別れを切り出す。だが、ケイティは彼を失うことなど受け容れられず、親友でもいいから側に置いて欲しいと懇願。結局、2人はよりを戻すのだった。



『追憶』(c)Photofest / Getty Images


 やがて、ケイティの勧めで作家としての道を歩み始めたハベルは、結婚し、ハリウッドに移住する。時代は"赤狩り"の真っ直中。ケイティはハベルが付き合う映画人たちの打算的な考え方が許せなかったが、ハベルの子供を身籠もり、夫婦仲は良好だった。しかし、共産主義者を炙り出すために盗聴器をセットするような政治の横暴を許容できないケイティは、遂にハベルの反対を押し切ってワシントンへ抗議活動に行ってしまう。戻って来たハリウッドでメディアの餌食にされるケイティに、ハベルは主義主張より人としての安らぎを大切にすべきと説くが、ケイティは主義こそが人間の糧だと言って譲らない。


 2人の間に横たわる溝は埋めることができず、やがて、本当に別れの時が訪れる。



完成した"ポリティカル・ラブロマンス"



 たとえ強く愛し合っていたとしても、人には絶対に譲れない境界線がある。愛する者たちが、自らの運命を左右する急激な社会の変化に抗いきれない時代もある。ラストに用意された、痛すぎる2度目の再会シーンも含めて、完成した脚本には、アーサー・ローレンツが譲れなかったポリティカルな要素と、シドニー・ポラックが死守したラブロマンスの要素とが、自然に拮抗しているように思う。


 社会に迎合して生きる人間の狡さと、社会と戦うことでしか自己証明できない人間の青さが、対になって愛の物語に複雑な味わいを書き加えているのだ。脚本に纏わる争いは、結果的に、どちらかに偏ることなく、映画『追憶』を"ポリティカル・ラブロマンス"としてカテゴライズできる佳作に仕上げたのではないだろうか。



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