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『追憶』ラブロマンスかポリティカルか、シドニー・ポラックと脚本家との攻防とは

(c)Photofest / Getty Images

『追憶』ラブロマンスかポリティカルか、シドニー・ポラックと脚本家との攻防とは

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ストライサンドとレッドフォード



 ユダヤ系アメリカ人のケイティを演じてアカデミー主演女優賞にノミネートされ、同主題歌賞に輝いた"The Way We Were"を自ら歌いヒットさせたバーブラ・ストライサンドは、役柄と同じくユダヤ系アメリカ人である。ブロードウェーで成功を収めた後、『ファニー・ガール』(68)で『冬のライオン』(68)のキャサリン・ヘプバーンとオスカーを分け合い、『追憶』で女優としての人気を証明したストライサンドは、ハリウッド映画に於けるユダヤ人女性の地位を確立した立役者と位置付けられる。


 彼女の登場以降、ダイアン・キャノン、ジル・クレイバーグ、ゴールディ・ホーン、バーバラ・ハーシー、ベット・ミドラー等、同じルーツを持つ女優たちが1970年代のハリウッドを席巻していった。


 一方、アメリカのエリート層を指す造語、WASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)の代表として、同じ時代を駆け抜けたロバート・レッドフォードの、撮影当時36歳の美貌が、ストライサンドとの対比を鮮明にしていることは言うまでもない。大学時代の爽やかなアスリートぶり、白い軍服で立ったまま寝ている場面での、観客の目を釘付けにする美しい表情とブロンドヘアは、まさに、ハベルを演じるために生まれてきたようなもの。ラブロマンスとポリティカルの絶妙な配合は、演じる俳優2人の対照的な個性によって成功したと言って過言ではない。



『追憶』(c)Photofest / Getty Images



実現しなかった続編



 映画公開から10年後、アーサー・ローレンツはレッドフォードに続編のアイディアを提案する。それは、ハベルとケイティの娘の確執を描いた内容だったが、レッドフォードが満足せず、お蔵入りに。1982年には、レイ・スタークが発案した続編の素案がシドニー・ポラック経由でローレンツに提示されるが、これも実現せず。さらに、1996年にはローレンツ脚本、ストライサンド監督&主演、レッドフォード共演という豪華な企画が持ち上がるが、それも頓挫。そうこうしているうちに、時代は足早に過ぎ去り、今に至ったという次第である。恐らく、リメイクしようにも今のハリウッドでは人材が見当たらない、数少ないオンリーワンの映画。『追憶』にはそんな付加価値もあるような気がする。



文 : 清藤秀人(きよとう ひでと)

アパレル業界から映画ライターに転身。映画com、ぴあ、J.COMマガジン、Tokyo Walker、Yahoo!ニュース個人"清藤秀人のシネマジム"等に定期的にレビューを執筆。著書にファッションの知識を生かした「オードリーに学ぶおしゃれ練習帳」(近代映画社刊)等。現在、BS10 スターチャンネルの映画情報番組「映画をもっと。」で解説を担当。 



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