2017.09.21
岩井俊二はどのように子どもたちから自然な演技を引き出したか
いまだに映画を監督することを「メガホンをとる」という言葉が使われることがある。電池式のハンドマイク付メガホンが普及するまでは、筒状のメガホンで遠くのスタッフやキャストに指示を出すことはあったが、今では現場で古めかしいメガホンを持つ監督はいない。小型のインカムを助監督たちが装着して小声で監督からの指示を伝え合ったりしている。
もうひとつ、映画監督のパブリックイメージに、「演技指導」がある。実際に、取材などで幾つか現場を見学した印象で言うと、これはもう監督によってやり方は千差万別で、かんたんに動きだけを確認して直ぐ撮影に入ってしまう監督もいるので、一瞬、手抜きに思いかねないが、実は撮影へ入る前に一通りリハーサルをやって、どう演じるかは充分確認が取れた上で現場に来ているので、いちいち細かな指導は現場では必要ないのだという監督もいる。あるいは事前リハーサルまでやらなくとも、プロの俳優ならば自分なりに役を作ってきて現場に来るべきで、完成した演技をまず見せろという監督もいる。修正する必要があれば現場で伝えるというわけだ。
では、『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』に登場する子どもたちの演技は、どのようにして生まれたのだろうか。というのも、現代っ子を描く多くの作品がぶつかるのは、作り手側の子どもたちへの視点が露骨に出てしまうことだろう。大人目線の想像で作られた子どもは、妙に純粋で子どもっぽい言動をとったり、演技もいかにも子役然としたオーバーな学芸会芝居を見せられたりする。ところが、本作の少年たちの演技は実に生き生きとして、大人びた言葉のやり取りといい、実にリアルで小気味いい。岩井俊二は脚本の執筆前に公園で、この年頃の子どもたちを観察し、その会話や動きを取り入れていったという。実際、劇中でゲーム『ストリートファイター』の用語を叫んだり、『スラムダンク』など、当時の子どもたちの流行りを、巧みに取り入れている。
こうした生の声を参考にする脚本家は他にもいる。以前、アニメ版『時をかける少女』の脚本を書いた奥寺佐渡子さんに、若者の話し言葉をどう書くのか訊いたことがある。その時のものが『シナリオ』(2016年7月号)に掲載されているので、そこから引用すると、「特に十代、二十代の台詞を書くときは、なるべく1行と決め、会話のやりとりを多くします。」「台詞の辻褄が合ってなかったり、相手の話をよく聞かないでしゃべるようなところも、大人の台詞に比べて多く入れます」とのことだった。
また、奥寺さんも町へ出て観察を行うという。「実際に電車の中で若い人の会話を聞いたりしています。」「面白そうな話が聞こえてくると、なんとなく耳をすませてしまいます。3人でしゃべっているのに、全く違うことをそれぞれがしゃべっていたり、ああいうのは脚本家が書こうと思って書けるものじゃないから、聞いちゃいますね」。