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『シークレット・スーパースター』全ての隠された“スーパースター”たちへの讃歌

『シークレット・スーパースター』全ての隠された“スーパースター”たちへの讃歌


隠される意味



 『シークレット・スーパースター』主人公のインシアは、そんな息苦しい家庭の中で、歌に活路を見出していく。


 母親がどこからか唐突に寄越したノートパソコン。インシアはYOUTUBEで曲を発表しようと思い立つが、顔出しして父親に身バレでもしたら、キツい折檻の上ギターやパソコンも取り上げられてしまうだろう。そんな行き場の無い思いを母親に八つ当たりすると「歌だけで勝負してみては?」とブルカ(厳格なイスラム女性が外出時に被る目の部分に穴の空いた頭巾)を被って動画をアップすることを提案される。「顔を出さなきゃ意味はない!」とは思いつつも、微かな希望を託しYOUTUBEチャンネルを開設する。そのチャンネル名が「シークレット・スーパースター」である。




 本作の大きな魅力は、なんと言ってもインシアの歌である。ギターの涼やかな音色で奏でられる伸びやかなメロディーに乗せて、若い少女らしい細くコロコロとしているが、しかしパワフルな歌声で物語に呼応する詩情溢れる歌詞が歌われる。


 そんな歌声に込めて、様々なタイプの「隠す」行為がテーマとして現れてくる。もちろんインシアの“隠れた”歌手活動を筆頭に、父親に“隠れて”遊ぶ楽しさや、学校に“隠して”遠出をするドキドキ感。業界を干されたプロデューサーが“隠して”いた歌。「隠す」ことで守られるもの。「隠す」ことで生まれる楽しみ。「隠す」ハメになったもの。もちろん、その「隠す」行為の中にはヒジャブやブルカなど、“女性を隠す”行為も含まれている。


 劇中、父親が友人の結婚式に母親も来いと言う場面で「先方は進歩的な家庭だ。ブルカは被るな。」と命令する。もはや、信仰も教義も関係無い。単なる様式でしか無くなっている。「隠す」ことになっているから、意味も理解しないで隠している、だけなのである。




 アーミル・カーンは2014年に主演を務めた『PK』でも、宗教における儀式、様式への懐疑を巧みな方法で表現していたが、本作ではより切実かつ現実的な問題として取り上げる。隠されていたことで見えなくなっていた行為の意味を、一つ一つ丁寧に、白日のもとに晒していくのだ。



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