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『ディリリとパリの時間旅行』巨匠ミッシェル・オスロが描く「ベル・エポック」の神髄

『ディリリとパリの時間旅行』巨匠ミッシェル・オスロが描く「ベル・エポック」の神髄

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華やぐパリの地下に隠された闇



 ベル・エポックは、様々な文化が花開いた時代だった。外国人が日本をイメージするとき、ニンジャやサムライのいた時代を連想しがちなように、パリといえば、この時代をイメージする人が少なくないのではないだろうか。科学、演劇、美術、音楽、思想などなど、多くの分野に才能豊かな文化人たちが登場し、互いに交流し刺激を与え合っていた。そんな人々が、本作では次々に現れるのだ。


 ディリリたちが文化人たちの協力を得ながら謎を暴いていく過程で、誘拐事件の犯人は、女性差別主義者の団体である、“男性支配団”であることが判明する。当時はそのような名前の団体は存在しなかったが、これは当時存在し、いまもまた連綿と続いている女性蔑視の思想を、戯画化して表したイメージであろう。




 劇中で見られる、女性が人権を剥奪され、“物”として扱われる描写は、すさまじく悲惨で正視しにくい部分すらある。オスロ監督のいままでの作品は、社会への痛烈な風刺や皮肉が見られたものの、ここまでおそろしい表現はなかったのではないだろうか。


監督はかねてより、このような女性を虐げる思想を批判的に描きたいと思っていたらしい。そして作品のリサーチのために関連書籍などを読んでいて、その歴史の残忍さに夜も眠れなくなることがあったのだという。


 女性だというだけで、人格を認められず、個性を認められず、あらゆる選択の自由を剥奪される。それは、一見きらびやかで公平に感じられる社会の裏に潜んでいる闇の思想である。家庭や学校、職場、自治体や国家など、様々な枠組みのなかで差別が行われる。そう、差別行為は事件というかたち以外にも、日常のなかに存在するのである。




 “男性支配団”が、昼は陽光が降り注ぎ、夜は街の灯りに照らされる明るいパリの地下に存在するというのは、現実に存在する差別行為が、人々の生活と隣り合わせにあるということを暗示している。そしてそれは、国家権力にすらはびこっていることをも、本作は、あるシーンによって示唆しているのだ。



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