2019.09.17
ジャームッシュ映画の根幹にある「アンチ・ドラマ」の精神
さて、この主人公アリーが映画の中でどんな行動を繰り広げるかというと、実は「何もしない」。眠れないままニューヨークの寂れた裏通りを歩き回り、一緒に住んでいる少女リーラのアパートにふらっと戻ってきては、狭い部屋でビー・バップのレコードをかけて踊る。老朽化している精神病院に入院中の母親を訪ねる。ニコラス・レイ監督(アンソニー・クイン主演、谷洋子共演)の『バレン』(60)が上映されている映画館に入り、ロビーにいた黒人のジャンキーからドップラー効果についてのジョークを聞く。夜の路上でサックス・プレイヤー(ジャームッシュの親友であり、以降も音楽家・俳優として重要なコラボレーターとなるジョン・ルーリー)が即興で美しい演奏を聴かせてくれる。
やがてアリーはニューヨークにやってきたフランスの青年と交差するように、パリに行くための船に乗る(これはジャームッシュがコロンビア大学で文学を専攻していた頃、パリでシネマテークに通い詰めていた1974年の遊学体験を思わせる)。彼の二日半ばかりを淡々と綴って75分の映画は終わる。まったく取り留めのないシネエッセイ、あるいは散文詩のような調子で。
『パーマネント・バケーション』(c)1980 Jim Jarmusch
以上見てきたように、ジャームッシュの根幹となっているのは「アンチ・ドラマ」の精神だ。例えば「売れる映画」の黄金の法則として数々の教則本で示されている脚本の三幕構成――ハリウッド流儀のストーリーテリングとは無縁な、いちいち関節を外した独特の作劇術。
彼にとっては人生それ自体が旅であり、何も起こらない日常にもある種の幻想性をまとわせ、ひとつの寓話へと昇華する。ジャームッシュのフィルモグラフィーは『ナイト・オン・ザ・プラネット』(91)、『ゴースト・ドッグ』(99)、『ブロークン・フラワーズ』(05)、『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』(13)等々……ミニコント調の連作『コーヒー&シガレッツ』(03年)も含めて、これで基本すべて説明できる。
『パーマネント・バケーション』(c)1980 Jim Jarmusch
そのヒントのひとつになっているのが小津安二郎だろう。『ストレンジャー・ザン・パラダイス』では、競馬の馬の名前として『晩春』(49)『出来ごころ』(33)『東京物語』(53)へのオマージュが捧げられる。ビートニク(放浪/フリーハンド)と小津(日常/構築美)のオリジナルな融合がジャームッシュだ、との公式も提示できるかもしれない。