襲い来るのは自分と同じ顔をしたモンスターたち
ピールはこの映画の構想を、すでに『ゲット・アウト』の完成前から練っていたという。前作で対峙した「恐怖の対象」にも驚かされたが、本作ではさらなる驚愕の存在が主人公らを襲う。ピールが招聘した新たな敵とは、他ならぬ「自分自身」。作品の内容を端的に表現するなら、ドッペルゲンガーが我が身を襲うサスペンス・ホラーといったところか。なるほど、確かにこれはどんな恐ろしいモンスターとの遭遇をも凌駕する、史上最悪のシチュエーションといえそうだ。
古今東西、ドッペルゲンガーを扱った作品は数多く存在する。本作の表層にあるのはこの古典的とも言えるストーリーラインに他ならない。彼らが何者で、なぜ存在し、何の目的で自分に攻撃を仕掛けるのか。僕ら観客にとっては何もわからないことだらけだが、だからと言って急いで答えを求める必要もない。
『アス』(c)Universal Pictures
まずはジェットコースターに乗り込むかのように、主人公らが機転を利かせ、相手を撃退し、巧みにサバイバルしていくスリルにどっぷりと身を任せておけば良い。表層的なストーリーをなぞるだけでも本作は大いに楽しめること請け合いだ。
が、そこまでたどり着くと、今度は我々の眼前に次なる壁が立ちはだかっていることに気づくはず。というのも、この映画には複数の層が存在し、仮に「なぜ?」という疑問にストーリー上の種明かしが与えられたところで、それはすべての核心を突く「答え」ではないからだ。重要なのはむしろその向こう側。奇想天外なストーリーが暗喩するものの「正体」を見極めることに尽きる。
ジョーダン・ピールが一体どういう目論見でこれらを描いたのか。本作を通じて何を伝えたかったのか。これらを解き明かすことにこそ、ジョーダン・ピール作品と対峙する真の醍醐味がある。