「We’re Americans.」
では、表層をめくって内部を覗くと、何が見えてくるのか。先述の通り「自分自身が襲い来る」という展開は極めて古典的なものだ。そこに込められている意味を考えた時、自らの過去や後悔、罪悪感、その他の無意識な言動が、それらをすっかり忘却した頃合いになって、後追いで自分の首を絞めてくるケースが考えられる。とりわけ現代社会では、身近なデジタル機器に自分のデータを分散させ、SNSごとに違うアカウントを作るなど、自分のドッペルゲンガーが出現しやすい環境が急速に整いつつあると言えるだろう。
しかし本作は、一個人の物語を超えて、カバーする領域を家族、隣人、社会、国家、世界、すなわち大きな意味での「Us」へと膨らませていく。襲い来る者たちが「お前ら何者なんだ?」と聞かれて「We’re Americans.」と答えるあたりも、非常に大事なポイントだ。
『アス』(c)Universal Pictures
ここで意味を限定させてしまうのは得策ではないが、あえてこのセリフから想起するものを挙げるなら、まずは「アイデンティティ」の問題が思い当たる。誰もが知る通り、トランプ政権は移民への圧力を強め、それに同調して声を荒げる人たちも数多く存在する。が、元を辿るとこの土壌は誰のものでもなかったわけだし、そこに最初に暮らし始めた誰もが移民だった。
つまり境界線の向こうから日々、新天地を求めてやってくる人々は、かつての自分たちと同じ姿をしている。そういった事実に目を伏せ、あるいは忘却し、移民たちを恐れ、敵視し、排除しようとする。まずはそういったケースがここにピタリと当てはまる。
これと関連して、現代アメリカがあらゆる局面で断絶が進んでいることも挙げられよう。相手を完膚なきまでに攻撃し、妥協を許さず、さらには自分に都合のいい物事にだけ耳目を傾ける。それ以外のことはすべてフェイクニュースだと決めつける。
両者の間にあまりに大きな溝が出現しているからよく分からないが、しかし断絶の向こう側に目をこらすと、そこで拳を振り上げている人たちもまた自分にそっくりの人々。ここにもドッペルゲンガーの出現が見て取れる。
『アス』(c)Universal Pictures
もう一つ、本作が提示する「型」と当てはまるのが、貧富の拡大をめぐる問題だ。アメリカン・ドリームが語られた時代が懐かしく思えるほど、今や富裕層と貧困層との間には地下世界と地上世界とを分かつ、分厚いコンクリート地面のような隔たりが出来上がっている。互いの世界が交わることはなく、貧困は無限にループし、地上へと這い上がっていく可能性は閉ざされる一方だ。
また本来、人は平等なはずなのに、この世の中では構造的な搾取がまかり通っている。人は「自分のことのように他者を思う」という尊さを忘れてしまったのだろうか————。多くのホラーに共通するように、恐怖は「忘れた頃」にやってくる。ひっそりと、そして確実に。