2019.09.26
ホラーのトーンで演出される思春期の気まずさや経験
「楽しくてかわいくて若かったあの時代みたいに、回顧して十代の物語を語りたくなかった。本当に十代であることはどういうことかを真剣に考えて映画を作ったら、ホラーに近い感触になると思う。そのぐらい彼らが肌で感じる感覚をしっかり描きたかったので、カメラ自体が主観的で、まるで主人公の頭のなかにいるような感覚を『処女』から参考にしました」
ホラーのテイストをバーナムは時折持ち込んでいるが、その最も顕著な例が、ケイラが、ほとんど話したことのない学内一の華やかな人気女子ケネディ(キャサリン・オリヴィア)の家で開かれるプールパーティに参加する場面にある(ここでケイラが着ているライムグリーンの水着は、『処女』で13歳の妹が着用していた同じ色の水着へのオマージュである)。親しくない女子や男子が元気に遊びまわるプールの様子を、家内の窓からケイラは覗き込むが、居心地悪い彼女の目には、それがあたかもこれから対面しなければならない社会の地獄であるかのように、不気味なスローモーションで映るのだ。
『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』(c)2018 A24 DISTRIBUTION, LLC
そしてもうひとつ。高校の一日体験入学をしたケイラが、その際に彼女の案内役となった高校生オリヴィア(エミリー・ロビンソン)と彼女の友人ライリー(ダニエル・ゾルガドリ)たちとショッピングモールで遊んだ後、ライリーの車でふたりきりになる不吉な場面で訪れる。彼は「真実か挑戦」のゲームをやることを提案し、最終的に彼女にシャツを脱ぐよう指示をする。
バーナムは最悪な事態に展開することを回避させながら、ここで、まさに彼女の感じる敏感な知覚や心理的な重みが直に観客の体幹に響くようなホラー演出を試みている。この場面は、男が巧みな戦術を使って若い女の子をどのようにして不快な状況に陥らせるか、彼女たちがそのような攻撃を受けた際に置かれる立場を明らかにしている。
セクシズムや有害な男らしさへの警告
同時に特筆すべきは、『エイス・グレード』が、有害と無害の男らしさに関する倫理的な考察になっていることだ。80年代に『すてきな片想い』(84)や『ブレックファスト・クラブ』(85)などで巨匠ジョン・ヒューズは学園映画を形作ったが、しかし彼の作品には、女性キャラクターがオタク的な少年の勝利のトロフィーとして扱われるような描写が含まれていた。
男たちが甘いロマンスを装って女性に嫌がらせしたり、攻撃するようなやり方は「ジョン・ヒューズ効果」とも形容されているが、愚かにも無知だった当時のコメディでは、少年たちがカジュアルな衝動から、知性を利用して同級生の少女へ性的な悪徳行為を働くようなデート・レイプを、笑いの材料として悪気なく描いていたのだ(そういったものは、同年代の『ナーズの復讐』(84)などにも多分に見受けられる)。
バーナムがこの点に関して、「レイピストはスーパー・マッチョな男の子だとみんな思いがちだけど、実はそんなわけではないですよね。ジョン・ヒューズの映画で、知的で繊細な少年が全く有害でないという描き方をしていたのは、すごく間違ったものだったと思う」と述べているのは重要だ。
『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』(c)2018 A24 DISTRIBUTION, LLC
自身のスタンダップ・ショー『ボー・バーナムのみんなハッピー』(16)含め、彼は、そのようなセクシズムや有害な男らしさに対して観客へ注意を促しているのである。だからこそ、80年代のヒューズ映画のミューズとして知られる一方で、後年、彼の作品の功罪について声明を発表したモリー・リングウォルドは、本作を激賞したのだろう。
外見はクールかもしれないが、無邪気にセクスティングを働く有害な男の子エイデンではなく、イケてなくて変わり者だけれど、優しい男の子ゲイブを本作は肯定的に描いている。この無垢な少年は、子どもっぽい混沌や快楽に身を委ねているが故に、他人の視線に囚われたケイラに必要な存在なのだ(ゲイブを演じるジェイク・ライアンは、偶然にも『すてきな片想い』でリングウォルドが恋する少年のキャラクターと同じ名前だ)。