2019.09.26
学園映画の巨匠ジョン・ヒューズから価値観を更新した革新性
また、ヒューズ以降の映画では、子どもたちは学園内で社会階層や派閥ごとに細分化され、イケてるグループからそぐわない者たちは、嘲笑の対象とされては差別やいじめを受けていた。しかしケイラは、例えば7年生の女の子の悲惨な学園生活をシニカルに描いたトッド・ソロンズの『ウェルカム・ドールハウス』(95)のように物理的ないじめを受けているわけではない。周囲はみんなスマートフォンに目を向けている。
「現代では、葛藤は自分の頭のなかにあって、みんな孤独を感じている」とバーナムは分析する。新しい世代の子どもたちの間では、インターネットが十代の生活のなかに潜行し、時間とエネルギーを費やさせ、そして自尊心を貪っていくことで、彼らの孤独や不安の感覚が増大していくのだろう。バーナムは、「ヒューズの映画を観ても、違う惑星の話に感じるほど自分のカルチャーではないように思う」と告白する。
「ヒエラルキーのような階級システムをぼくは全く理解できない」「コロンバイン事件以降、学校での銃撃事件が起き続けているのは、孤独を感じている子どもたちがはけ口として行動を起こしている結果だとも言えます。そのような状況の今、ジョン・ヒューズの映画を観ると100年前とか中世の時代の物語のような感じがしてしまいます」
『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』(c)2018 A24 DISTRIBUTION, LLC
階層のなかで取り巻く構図を変化させることや、尊敬を得ることに重きが置かれていたこれまでの学園映画とは異なり、本作は、ケイラがエイデンと付き合うために努力してクールな見た目になったり、ケネディを打ち負かしてカリスマ的なポジションに移行したり、クラス内で受け入れられたりするような、変身する姿を描こうとはしない。
シャイで自分に自信がなく、社交が苦手なケイラは、ナーバスな状態のときいつも目線が俯きがちになるが、とりわけ彼女が意地悪なケネディたちに意を決して文句を言おうとするとき、相手の目ではなく自分の足元を見ながら意見を主張する様には、優れて真実味がある。
#metoo時代を代表するこの新たな青春映画の傑作は、ジョン・ヒューズ映画にあった価値観やイデオロギーを更新させていることに、大きな意義があるのだ。
文:常川拓也
「i-D Japan」「キネマ旬報」「Nobody」などでインタビューや作品評を執筆。はみ出し者映画を特集する上映イベント「サム・フリークス」にもコラムを寄稿。共著に『ネットフリックス大解剖』(DU BOOKS)。
『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』
2019年9月20日(金) ヒューマントラストシネマ有楽町、シネクイントほか全国ロードショー
(c)2018 A24 DISTRIBUTION, LLC