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『バロン』大失敗作なんかじゃない! 苦難を越えて辿り着いたテリー・ギリアム監督作の芸術性とは?

(c)1989 Columbia Pictures Industries, Inc.ALL

『バロン』大失敗作なんかじゃない! 苦難を越えて辿り着いたテリー・ギリアム監督作の芸術性とは?

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呪われたようにトラブルが相次いだ制作現場



 その混乱の一因はプロデューサーのスタンドプレーにあるという。本作のプロデューサーことトーマス・シューリーという男、会って早々、そのいかつい風貌ゆえに「自分のことをランボーと呼んでくれ」と自己紹介したそうだ。普通の人なら真っ先に警戒するタイプの人物だが、ギリアムはなぜか「頼れるやつだ」と好印象を抱き、抜群の信頼を寄せるようになる。ここからすでに転落劇が始まっていたようだ。


 やがてシューリーは費用が安く抑えられることを理由に本作の制作拠点をイタリアに置こうと提案する。その案に乗ってあちらへ移動したまでは良かった。芸術の都ローマは、街の空気や歴史、人々の感性からしてまるで違い、映画作りにはもってこいの刺激的な環境のように思えた。しかし問題点は日に日に明るみになっていった。



『バロン』(c)1989 Columbia Pictures Industries, Inc.ALL


 例えば、文化や習慣、スタッフの考え方、それに映画製作のあり方にも深い溝が刻まれていった。経験のあるプロデューサーならこれらも込みで慎重にプロジェクトを立ち上げるのだろうが、頼れる男に見えたシューリーは、ランボーとは名ばかりの、単なる“いいカッコしい”の使えない男だった。


 ギリアムは当時の現場について「まるでバベルの塔だ。コミュニケーションは英語で統一されているものの、腹の底までは読めないからね」と語っている。英国人スタッフが上下の関係なく合理的な考え方をする一方で、イタリア人スタッフは職人的で、縦のつながりを重視することから指示系統がうまく機能しないことも多かったという。


 そうこうしているうちに制作費は早くもスッカラカンとなり、さらにスペインまで遠征したロケでもトラブル続き。挙げ句の果てには保険会社の会計士が乗り込んできて「これはもうだめだ」と制作をストップ。企画が根元から見直され、芸術性のかけらもない連中にああだこうだ言われながら撮影を再開し、我慢に我慢を重ねた末にようやく完成までこぎつけたそうである。



『バロン』(c)1989 Columbia Pictures Industries, Inc.ALL


 この頃、保険会社と紛糾していたギリアムが怒りに任せて現場に止めてあった車のフロントガラスを思い切り叩き割ったところ、よく見るとそれは自分の車だったというのは有名な話だ。


 結果として、当初かき集めた予算が2,000万ドルほどだったのに対し、かかった費用はダブルスコアの4,600万ドル強。60年代初頭に20世紀フォックスの経営を傾かせた『クレオパトラ』(63)と同じく作品の一部がローマ郊外のチネチッタで撮られたこともあり、「映画史に残る失敗作」という烙印はきっとこのあたりの超難産ぶりを表してつけられたのだろう。



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