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『真実』是枝監督が、最大の敵「演技」を描くとき――新たな家族劇が生まれる

『真実』是枝監督が、最大の敵「演技」を描くとき――新たな家族劇が生まれる

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「演じるとは?」に向き合った総決算的作品



 役=役者の状態を作り出すことが、是枝作品のキモ。最新作『真実』では、従来の方法論に「深化」が足された。是枝監督の作品における最大の難関は「演じる」ことであり、画面の中から虚構性を排除することが必須といえる。だが、本作の主人公は、女優。「演じる」行為を隠すことが不可能なのだ。


 カトリーヌ・ドヌーヴにおいては「ファビエンヌ」と「ファビエンヌが演じる役」といったようにレイヤーが1つ足された形になり、ファビエンヌ以外にもそれぞれのキャラクターに「演じる」役割が与えられている。


 家庭では母という「役」を演じてほしかったリュミールと、家を一歩出れば「女優」を演じていたからこそ、家庭では「自分」でいたかったファビエンヌ。両者の対立構造が、そのまま「演じるとは?」という問いかけになっている。


 疎遠だった母の前で自分を「作る」リュミール、ある問題を抱えながらも娘の前では良き父親を「演じる」ハンク、さらにファビエンヌの新作の撮影現場という「劇中劇」が挿入されることで、これまでの是枝作品には見られなかった「演技」が常に画面に存在するようになっている。




 加えて、嘘だらけのファビエンヌの自伝本の存在が、「真実」とは何かを不明瞭にしていく。自伝本がもはや自伝本の体をなしていないという状態で、彼女の真意はどこにあるのか? 女優という「虚構」を生きる者は、どこまで「演じて」いるのか? ファビエンヌにおける日常は「演技をしない」ということではなく、「日常用の演技」をしている状態なのではないか? 観客は本作を観ていく中で、ファビエンヌという女優の真実=素顔を模索していくことになるだろう。


 劇中には多くのヒントが隠されており、ファビエンヌと同じく女優だったが、事故で命を落とした妹サラのエピソードが、ファビエンヌの心中を推察するための装置として重要な役割を果たしている。さらに、ファビエンヌの散歩シーンや、カフェで1人物思いにふけるシーンなどの何気ない一瞬が、後々になって存在感をまとい始めていく。他者の前と1人のシーンにテンションのギャップを作ることで、想いのままに生きているように見えるファビエンヌが、実は誰よりも本音を隠しているように見えてくるのだ。


 冒頭で述べたように、本作は静謐でシンプルな映画なのだが、演技構造は実に複雑だ。そもそもの企画の出発点である「演じるとは?」に真摯に向き合うこと――そういった意味で、是枝監督の方法論における現時点での総決算的な作品といえよう。



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