めまいを映像的に表現するには? 画期的ショットの開発秘話
こういったサプライズの「ずらし」があるからこそ、僕らは結末に向けてジェームズ・スチュワートの心理にグッと寄り添うことができる。そして感情のダイナミズムがマックスに達する頃に登場するのが教会の鐘楼シーンであり、今や伝説となった「めまい」のショットである。
それは鐘楼を登っていくスチュワートがふと階下に目線を下ろした時に、急激なめまいによって、何もかもが自分から遠ざかっていくかのように映像が歪んでいくというもの。今や「ドリー・ズーム」などと呼ばれて様々な映像作品で多用されている手法だ。
書籍「映画術」にはトリュフォーがこれについて「キャメラをトラックバックさせながら同時に急激なズーム・アップをしたのではありませんか?」と尋ね、ヒッチコックが「そのとおり」と答える箇所がある。では彼は、どういうきっかけでこの「めまいショット」を着想し、映像化しようと考えたのだろうか。
事の発端は、かつてロイヤル・アルバート・ホールで毎年行われていた年越しの仮装パーティー、チェルシー・アーツ・ボール。ヒッチコックがこの狂乱と混沌の宴に参加した時、盛り上がりすぎて泥酔し、何もかもが自分から遠ざかっていくかのようなめまいに襲われたという。
チェルシー・アーツ・ボールの映像
この自ら体感しためまいの症状がよほど印象深かったのだろう。彼はアメリカ進出作『レベッカ』(40)でこれをなんとか映像的に表現できないものかと試行錯誤するのだが、いいアイディアが浮かばず、この時はあえなく断念。その後、15年ほど考えに考えた末に、移動撮影とズームを同時に行うことでイメージ通りの映像が撮れるとの判断に至ったそうだ。
しかし『めまい』で難題なのは、この手法を「鐘楼の螺旋階段にて、上から下を見下ろす」という垂直シーンで用いようとしていたこと。スタッフがざっと見積もったところ、これにはカメラを垂直方向へ移動させるための重厚な装置が不可欠なので、その開発や設置に5万ドルもの経費がかかるとの見通しが出た。が、ここでさすがヒッチコック。「なぜこのシーンでそんな大掛かりなことをする必要があるんだ?」とスタッフを問いただす。
『めまい』(c)Getty Images
ヒッチコックの主張はこうだ。このシーンはあくまで主人公の主観映像に過ぎない。つまり、被写体として鐘楼の螺旋階段さえ映っていればそれで十分。人が映り込む必要など全くない。ならば、実寸大セットを使うのではなく、螺旋階段のミニチュアを作ってはどうか。それを真横に倒し、カメラを普通の位置にセッティングして(通常のドリー撮影で水平方向に)トラックバックしながらズーム・アップすればいいじゃないか————。
なるほど、まさに目から鱗。垂直の映像を水平にして撮っちゃうなんて、これぞコペルニクス的発想とでも呼ぼうか。結果的に、5万ドルかかるはずだった費用は2万ドルほどで済み、こうやって観客に「めまい」感覚を追体験させる伝説的、象徴的ショットがフィルムに焼き付けられたのである。つくづくヒッチコック映画は、「鑑賞」を超えた「体験」であることを思い知らされる。
かくも細部を知れば知るほど味わいが増し、咀嚼するたびに理解が深まっていく本作。ストーリー的にも決して一筋縄ではいかず、かなりアブノーマルな側面すら併せ持つ。好き嫌いはあるだろうが、はまる人はこの香りに危険なほどはまってしまうはず。まだ体感したことがないなら、ぜひ一度、この幻想的な迷宮へ足を踏み入れてみてはいかがだろうか。
参考資料
「めまい」DVD(ジュネオン・ユニバーサル)収録ドキュメンタリー
「定本 映画術 ヒッチコック/トリュフォー」フランソワ・トリュフォー/山田宏一・蓮實重彦訳/1990/晶文社
1977年、長崎出身。3歳の頃、父親と『スーパーマンII』を観たのをきっかけに映画の魅力に取り憑かれる。明治大学を卒業後、映画放送専門チャンネル勤務を経て、映画ライターへ転身。現在、映画.com、EYESCREAM、リアルサウンド映画部などで執筆する他、マスコミ用プレスや劇場用プログラムへの寄稿も行っている。
『めまい』
Blu-ray: 1,886 円+税/DVD: 1,429 円+税
発売元:NBCユニバーサル・エンターテイメント
(C) 1958 Alfred Hitchcock Productions, Inc. and Paramount Pictures Corporation. Renewed 1986 Universal Studios for Taylor and Patricia Hitchcock O'Connell as Co-Trustees. All Rights Reserved.
※ 2019 年 10月の情報です。
(c)Getty Images