渋谷のBunkamuraの近くにKUZUIエンタープライズという小さな映画会社があった。80年代の話である。
そんな会社がトーキング・ヘッズの音楽映画『ストップ・メイキング・センス』(84)の権利を買った。
『羊たちの沈黙』(91)で後にアカデミー賞を獲得するジョナサン・デミが監督で、アメリカでは異例のロングランとなったが、日本では1年以上、公開されなかった。その頃、ロック系の映画は当たらないというジンクスがあったからだ。
KUZUIエンタープライズは、そんな映画をなんとか日本でも上映したいと考えた。
そこで社長は新しい会社を作り、個性的なスタッフを集めた。
やがては『バグダッド・カフェ』も大ヒットさせる小さな映画会社の奮闘記。彼らの熱意がやがて渋谷の夜を変えることになる。
※以下記事は、2013年~2014年の間、芸術新聞社運営のWEBサイトにて連載されていた記事です。今回、大森さわこ様と株式会社芸術新聞社様の許可をいただき転載させていただいております。
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渋谷にあった小さな映画会社
80年代半ば、渋谷の街を歩くのが好きだった。銀座や新橋で新作の試写を見た後、渋谷で下車して、書店やレコード・ショップなどをまわり、インディペンデント系の映画会社を訪ねる。そんな日々を送った。
よく立ち寄った映画会社のひとつにKUZUI エンタープライズがある。当時、この会社の小さなオフィスは東急本店の斜め前にあった小さな雑居ビル、ジョンクル・ビルの中にあった。1階に古い酒屋があり、上にはいくつかの会社が入っていた。
夕方行くと、スタッフのひとりが言う。
「大森さん、悪いけど、1階でビール、買ってきてくれる?」
「え〜」と一瞬、面倒くさそうな顔を見せ、私はしぶしぶその言葉に従う。そして、何本かの缶を持ってオフィスに戻り、のどにしみる一杯を飲みながら、スタッフの近況を聞と、こんな答えが戻ってくる――「この前、デイヴィッド・バーンから、電話があったよ」
バーンはアメリカの人気バンド、トーキング・ヘッズのカリスマで、私は彼と話したというスタッフの自慢話をうらやましそうに聞く。ある時はニューヨークのグラフィティ・アーティスト、キース・ヘリングの姿をその事務所で目撃したこともあった。
後に『神経衰弱ぎりぎりの女たち』(87)が日本でも公開され、今では世界的監督となったペドロ・アルモドバルの名前を知ったのも、そのオフィスだ。 たまたま机に置かれていた英文資料を手にとった日のこと──。「その監督、女装して、舞台で歌っているみたいだよ」と、スタッフのひとりがつぶやく。その頃、アメリカではアルモドバルの日本未公開作が話題になっていた。資料に目を通しながら、映像が奇抜そうな新人監督への興味をふくらませる……。
ある時はモノクロのしゃれたポストカードを見つけて手に取る。
「これ、何のカード?」
私がそう聞くと、別のスタッフが答える。それはスパイク・リー監督の初の長編映画『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』(86)のポスカードだ、と。カードの真ん中では、かっこいいヒロインの黒人女性が笑顔を浮かべている。そんな風にオフィスにはいつも小さなサプライズがあった。
「悪いけど、ビールのおかわり、買ってきてくれる?」
再び「え〜」といいながらも、私は1階の酒屋に行き、さらに缶を買い込む。ビールの栓を抜いていると、スタッフのひとりがレコードを取り出す。
「トーキング・ヘッズの新譜アルバム、かけようか?」
すでに別の場所で聞いていたが、そのオフィスでは、音がソリッドに響く。やがて、ビールがほどよくまわり、窓越しに見える渋谷の夕暮れのストリートがさらに魅力的なものに思えてくる……。
◉スパイク・リー監督の初の長編映画『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』(86年)のパンフレット。KUZUIエンタープライズとシネセゾンが共同で配給。スパイクは新しいニューヨークのインディペンデント系監督として注目された。