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【ミニシアター再訪】第15回 映画の街・銀座からの巻き返し・・・その4 シャンテシネのはじまり

【ミニシアター再訪】第15回 映画の街・銀座からの巻き返し・・・その4 シャンテシネのはじまり

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みゆき座とスバル座の貢献



 フランス映画社の作品としては、81年に東宝系の劇場だった有楽町のスバル座にドイツ映画『ブリキの太鼓』(79)をかけて大ヒットを記録したこともある。 


 「まずはシャンテの設計図を作る前にどんな映画館にするのか東宝の社内で話が出ていて、その中で当時、注目を集めていたミニシアターを作ろうということになったようです。すでにオープンしていたシネマスクエアとうきゅうやシネ・ヴィヴァン・六本木はマスコミ的に話題になっていましたからね。そこで東宝としても普通のロードショーだけではなく、そういったミニシアター興行にも手を染めてみたかったのでしょう」


 「フランス映画社は『旅芸人の記録』(75)をはじめとする作品を岩波ホールで成功させ、『ブリキの太鼓』もスバル座ですでに上映していました。同社の柴田社長と東宝の興行部の関係がひじょうにうまくいっていたので、日比谷に新しい映画館を作る時にはぜひご協力いただきたいという話があって、シャンテシネがスタートしたんだと思います」 


 その後はフランス映画社の新たな買い付け作品、ジム・ジャームッシュ監督の『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(84)や『ダウン・バイ・ロー』(86)も86年にスバル座で大ヒットとなった(それ以降のジャームッシュ作品は主にシャンテで上映される)。


 スバル座は46年に日本初のロードショー劇場としてスタートした映画館で、50年代の火災の後、66年に日活の封切り館となり、67年後半からは東宝系の洋画の劇場となった。70年代はヒットを期待されていなかった『イージー・ライダー』(69)が5か月半のロングランとなり、大きな反響を呼んだ。商業映画館でありながらも、アート的な個性もある作品を上映する劇場となっていった(ロバート・アルトマンやブライアン・デ・パルマといった監督の70年代の作品も上映されている)。


 日比谷映画街の中の東宝系劇場としてはみゆき座という個性的なロードショー館があり、高橋専務は東宝に入社後、この劇場に勤めたこともあったという。みゆき座は57年に開館した封切り館で、最初の数年間は大映作品を上映していたが、62年からは洋画が上映されるようになったという。 


 「最初の作品がブリジット・バルドー主演の『私生活』です。それからのラインナップはものすごいです。ジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォー、ピエロ・パオロ・パゾリーニなどのアート系作品も上映しています。まさにミニシアターのはしりともいえる劇場でした」 


 やがて、みゆき座の興行を変える作品が登場する。洗練された映像で、従来のポルノ映画のイメージを覆し、若い女性も見ることができるソフト・ポルノとして社会現象を巻き起こした『エマニエル夫人』(74)が公開されたのだ。 


 「この映画が大ヒットした70年代半ばから興行の形態も変わっていきました。それまでの洋画は基本的にはまずは日比谷地区の劇場で単館ロードショーされ、それから全国の2番館や3番館へと広がっていきましたが、70年代の『エマニエル夫人』の前後に公開された話題作の『エクソシスト』(73)や『タワーリング・インフェルノ』(74)の場合、単館ではなくて、最初から日本全国の拡大公開が行われました。みゆき座は『エマニエル夫人』があまりにも当たって、お客さんを収容しきれず、あわてて新宿でも上映しました。このあたりから単館的な個性がだんだんなくなって、全国で一斉に封切る普通のロードショー劇場の仲間入りをしてしまいました」 


 みゆき座はかつて女性路線の文芸映画を上映する映画館というイメージがあったが、劇場の個性も時代と共に変わっていく。そんな中にあってヴィム・ヴェンダース監督の出世作『パリ、テキサス』(84、フランス映画社配給)は85年にここで上映されている。この年のカンヌ映画祭パルムドール(最高賞)の受賞作だ。 


 「『パリ、テキサス』は僕がみゆき座にいる頃の作品でした。『エマニエル夫人』のヒット以後、単館系の劇場の個性が薄れてきたとはいえ、時々、先祖返りしてこういう映画も上映するわけです。大ヒット作ではなかったのですが、まずまずの数字が出ました。『パリ、テキサス』は僕も好きな映画でした。その頃の営業を通じて、フランス映画社の柴田社長とのおつきあいも出てきました」 


 その時代の交流が、後のヴェンダース監督の『ベルリン・天使の詩』(87)へとつながり、フランス映画社のBOWシリーズの作品群がシャンテシネで興行的に圧倒的な強さを発揮する時代がやってくる。 


 みゆき座以外にも、東宝にはミニシアターの原点ともいうべき動きがあった。 


 「他にATGもありました。東宝が100%株主で始めた劇場で、『尼僧ヨアンナ』(61)のように埋もれた洋画を発掘して公開していました。でも、それには限りがあるわけです。それで邦画の製作を始め、ATGと監督のプロダクションの共同出資で1000万円映画が作られました。東宝の歴史でいうと、みゆき座の洋画の単館ロードショーがあり、さらにもっと特化したマニアックなものを、ということでATGを始めて、それからATGの洋画が途絶えた頃に邦画を作り出して、いろいろな名作を作った。そんなアート系映画の歴史があり、それをシャンテが引き継いだというわけです」 



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