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『ザ・ビーチ』ダニー・ボイルと仲間たちが目指した楽園、そしてその崩壊

(c)Photofest / Getty Images

『ザ・ビーチ』ダニー・ボイルと仲間たちが目指した楽園、そしてその崩壊

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『ザ・ビーチ』あらすじ

タイ、バンコク。一人旅でやってきたリチャードは刺激を求めていた。そんな中、リチャードは伝説の孤島の噂を耳にする。そこは、外界からは完全に遮断された場所にあり、美しすぎるほどに美しく、日常の全てから解放される夢の楽園だという。半信半疑なリチャードだったが、伝説のビーチについて語ってくれた奇妙な男が、ビーチの場所を記した地図を残して変死してしまう。それをきっかけに、リチャードは伝説の孤島を探す旅へ出かける事になるのだが…。



 新たなミレニアムの幕開けの年に封切られたダニー・ボイル監督作『ザ・ビーチ』(00)は、正直言って賛否が大きく分かれる作品である。


 かくいう私も、この映画が何を言わんとしているのか、やや消化不良に陥りつつ、その一方でどんどん暴走気味に勢いを増していくダニー・ボイルの映像演出や、前作『タイタニック』(97)とは全く異なる境地に達したディカプリオの凄みに、抗いようのないダークな魅力を感じたのも事実だ。


 その良い点、悪い点がすべて相まって、今では私にとって2年か3年おきに、どういうわけか発作的に「観たい」という衝動を抑えきれなくなる作品の一つとなっている。それこそ映画の冒頭、ロバート・カーライル演じる”ダフィ”が、青白い顔で歯を剥き出しにしながら「ビーチに興味ねえか?」と不気味な誘いをかけてくるのとよく似ている。


『ザ・ビーチ』予告


Index


東南アジアの暮らしに着想を得たスリラー小説



 今では小説家のみならず、脚本家、映画監督としても知られるアレックス・ガーランドが、原作小説を著したのは1996年のこと。インタビュー記事によると、20代前半頃の彼は、旅をしながらジャーナリストとしてその土地ならではの文化や情報や行事を発信できればいいな、という淡い願望を持っていたそうだ。


 そういう理由で東南アジアに暮らしてはみたものの、自分の思い描いていたようには仕事に結びつかず、結局のところ彼はここでの体験をもとに、あくまで自身の主観を通じてイマジネーションを膨らませた”小説”を執筆することになる。


 近年ではAIや科学、テクノロジーなどを取り扱った脚本作や監督作も多いガーランド。それと比較すると「ザ・ビーチ」の内容は一見するとかなり傾向が違って見える。だが、世俗から隔絶された楽園であるとか、その空間でしか機能し得ない排他的な共存システム、堰を切ったように溢れ出す狂気や恐怖について思い返した時、「ザ・ビーチ」はいわば、後のあらゆるガーランド作品の装いを全て削ぎ落とした際に残る”核”のようなものと思えなくもない。


 インタビュー記事を紐解くと、ガーランドが「これはバックパッカー文化そのものや、東南アジアをまるでテーマパークのように利用することへの批判として書いた」(*1)というようなことを述べており、公開当時その真意を読み取れなかった自分としては、なるほどなあ、と感じ入るところがある。


 さらに言えば、各国が東南アジアを占領下に置いて行ってきた植民地政策などの負の歴史も、これに通じるところがあるだろうし、映画本編や原作での『地獄の黙示録』(79)のストレートな引用からは、アメリカがベトナム戦争で行ったことを絡めようとする意図も伝わってくる(もっとも本作の舞台はタイではあるのだけれど)。


 ただし、本作はこういったメッセージ性やストーリーを純粋に味わうこと以上に、幸か不幸か、製作の裏側で起こった様々なエピソードの方がより濃く付いて回る映画となってしまった。いやむしろ、舞台裏や後日談も含めて、一つの楽園をめぐるクロニクルとして完結していると言うべきだろうか。





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