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【ミニシアター再訪】第15回 映画の街・銀座からの巻き返し・・・その4 シャンテシネのはじまり

【ミニシアター再訪】第15回 映画の街・銀座からの巻き返し・・・その4 シャンテシネのはじまり

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最初は不安もあった



 劇場がオープンした夜、私も友人に誘われ『紳士協定』を見に行った。東宝が日比谷地区にどんな劇場を作ったのか興味をそそられたからだ。当時、すでにオープンしていた新宿のシネマスクエアとうきゅうは豪華な椅子が売り、六本木のシネ・ヴィヴァン・六本木はサウンドの良さをアピールしていた。


 こうした劇場と比べると、特にシャンテシネに目立つ特徴はなかったが、場内には落ち着いた雰囲気があった。また、シャンテビルの前には映画の広場があり、スターたちの手形や東宝名物の精巧なゴジラ像があることも目をひいた(ゴジラ像は95年12月3日に除幕式が行われている)。高橋専務はシャンテシネの建てられた場所についてはこう回想する。 


 「シャンテシネがあるところは、日比谷映画劇場の向かいで、そこにあったぼろぼろの4階建てくらいのビルのなかに、旧東宝の本社と芸術座の稽古場があったんです。あと関東支社の倉庫もありました。その隣には今でいうゲームセンターや雀荘など雑居ビル的なものがありました」


 「日比谷映画と有楽座を壊して、実質的にはそれがマリオンの中の日劇と日劇プラザに引っ越したわけです。ただ、かつての場所にも少し記念碑を残しておきたいということで、今の形になりました。劇場の名前はルミエールにひっかけたものも考えましたが、シャンテビルの近くなので、シャンテシネが分かりやすいということで決まりました」 


 開館後、『グッドモーニング・バビロン!』は15週の興行となり、シャンテの歴代興行リストの第17位(興行収入8100万円)にもランクインしている。興行的な成功だけではなく、作品としても高い評価を受け、映画雑誌『キネマ旬報』の評論家のベストテンでは洋画の1位に選ばれた。


 ちなみにこの年の順位は2位がオリバー・ストーン監督の『プラトーン』(87)、3位がウディ・アレン監督の『ハンナとその姉妹』(86)、4位がブライアン・デ・パルマ監督の『アンタッチャブル』(87)、5位が『スタンド・バイ・ミー』(86)なので、アメリカの良質の作品群を抑えて、シャンテシネの記念すべき第一回作品が堂々洋画の第1位に輝いたことになる。


 こうした記録を見ると順調なスタートを切ったかに思えるが、高橋専務によれば2館併設という試みに関してはかなり不安もあったようだ。 


 「2つの映画館によるミニシアターが続くかどうか心配もありました。1館だけなら、BOWシリーズを中心に上映して、時々、他のものでつないでいけばやっていける気がしたんです。BOWシリーズの場合は、お客さんが入るにしても、入らなくても、BOWシリーズというものがあって、一定のクオリティのものをやっていくという方向がありましたから。ただ、もう一方の映画館では古い名作を上映したり、新しいものを入れたりで、政治的な番組というんでしょうか、会社の付き合い上、劇場の個性とは関係のない作品もときどき入ってきます。大ヒット作のムーブオーバーなどですね」 


 柱となったBOWシリーズにしても、すべての作品の興行がすごく順調だったわけではなかった。 


 「『グッドモーニング・バビロン』の後、アラン・レネ監督の『メロ』(86)を上映して、その後、『スイート・スイート・ビレッジ』(85)を上映予定でしたが、その間に邦画のヒット作『マルサの女』のムーブオーバーをはさむことになってしまったんです。僕らからすると、多少数字は厳しくても、それなりのものをやりたい、という気持ちがあったんですが、思うようにはいかないこともあり、現場的には2館ではなく、1.5館がミニシアター系という状態でした」 


 東宝内部では2館を維持し続けるのはむずかしいので、もう一館は普通のロードショー館か、ムーブオーバーなどもできる使い勝手のいい劇場にしようという話も出ていたそうだ。 


 「ただ、僕のように現場にいる人間はそんな話が出ていることをぜんぜん知りませんでした」 


 不安材料もかかえながらシャンテシネは産声を上げたわけだが、オープンから半年後の88年4月23日、劇場の運命を変える作品がかけられることになる。ミニシアター界の興行記録をぬりかえる『ベルリン・天使の詩』が封切られたのだ。 


(次回はミニシアターの興行史を塗りかえた大ヒット作『ベルリン・天使の詩』上映騒動をレポート)




◉待ち合わせの目印によく使われるゴジラ像。奥がシャンテシネ (2014年撮影)



前回:【ミニシアター再訪】第14回 映画の街・銀座からの巻き返し・・・その3 銀座・ミニシアター元年 1987

次回:【ミニシアター再訪】第16回 映画の街・銀座からの巻き返し・・・その5 シャンテで大ヒット『ベルリン・天使の詩』 



文:大森さわこ

映画ジャーナリスト。著書に「ロスト・シネマ」(河出書房新社)他、訳書にウディ・アレンの評伝本「ウディ」(D・エヴァニアー著、キネマ旬報社)他。雑誌は「ミュージック・マガジン」、「キネマ旬報」等に寄稿。ウエブ連載をもとにした取材本、「ミニシアター再訪」も刊行予定。



※本記事は、2013年~2014年の間、芸術新聞社運営のWEBサイトにて連載されていた記事です。今回、大森さわこ様と株式会社芸術新聞社様の許可をいただき転載させていただいております。なお、「ミニシアター再訪」は大幅加筆し、新取材も加え、21年にアルテス・パブリッシングより単行本化が予定されています。

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