シネセゾンが80年代に始めたシネセゾン渋谷は、渋谷にできた先駆的なミニシアター。当初はアメリカのインディペンデント系映画やヨーロッパ映画の上映が多かったが、一時は勢いを失い、拡大系のロードショー館となる。
しかし、90年代はリバイバル上映で個性を発揮するようになり、市川崑監督の『黒い十人の女』(61)や『グラン・ブルー』(88)のようにかつては興行に失敗した映画がこの劇場で新しい命を得て、大ヒットとなった。
生前、市川監督にインタビューをしたことがあるが、その時、90年代のリバイバルの話も出た。「小西康陽さんがすごくほめてくれて、リバイバルするというので、また渋谷で見ました。なつかしいですね」と監督は語っていた。
一方、かつて『グレート・ブルー』(88)のタイトルで公開された『グラン・ブルー』のロングバージョンも若い層に受けて、空前のリュック・ベッソン・ブームが起きた。
当時の劇場の熱気を平野博靖元支配人やその他の関係者たちが振り返ってくれた。
※以下記事は、2013年~2014年の間、芸術新聞社運営のWEBサイトにて連載されていた記事です。今回、大森さわこ様と株式会社芸術新聞社様の許可をいただき転載させていただいております。
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2011年に閉館
渋谷のミニシアターの草分け的な存在、シネセゾン渋谷が閉館したのは2011年2月27日である。
劇場が入っていたのは、渋谷の道玄坂にあるファッションビル、109の隣にあるザ・プライム。向かい側には東宝系の映画館、渋谷のシネタワーがある。ザ・プライムの1階に今ではユニクロが入っていて、夜にこのビルの前を通ると明るい光があふれている。
シネセゾンの跡地がどうなっているのか興味を持ち、エレベーターで6階まで上ると、これまでとはまったく違う光景が広がっていた。かつては2つの映画館があった。左は松竹系拡大ロードショー館だったが、今はライブハウスの「Mt. RAINIER HALL」(当時・現在Shibuya Pleasure Pleasure)となっている。
一方、シネセゾン渋谷だった右の劇場は、演劇や寄席、ライブビューイングの場所である「CBGKシブゲキ!!」だ。こちらは芸能事務所のキューブが運営していて、所属している曲者男優の古田新太が劇場アドバイザーを務めた時期もあった。
シネセゾン渋谷の頃より入口が狭く、こじんまりした印象だ。
たまたま、係の人が劇場前のロープをチェックしていたので、少し話を聞くと、「おかげさまで多くの方に来ていただいています」との答えが返ってくる。となりのライブハウスもかなり盛り上がっているようで、次々と若い客が会場に入っていく。
同じ宇田川町にあるミニシアター、シネマライズも、2館のうちの1館はライブハウスになっていたが、こちらも生のパフォーマンスを見せるという部分は共通している。
かつての映画館はライブのためのスペースに様変わりしているのだろうか?
◉ありし日のシネセゾン渋谷の貴重な写真。入り口を入るとドアがあった。スクリーンはかなり大きめだった。