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『グラン・ブルー』製作時、リュック・ベッソンが戦ったハリウッドの大物とは!?

『グラン・ブルー』製作時、リュック・ベッソンが戦ったハリウッドの大物とは!?


 「実を結ばなかった道が多くあること。そして、簡潔に向かう道が時にはどれほど複雑なものかを分かってもらえるだろう」


 この何やら苦渋と怨念に充ち満ちた文章は、1996年に発刊された写真集の序章で、ある監督がある作品の製作過程について記したものだ。その作品とは写真集の主役である『グラン・ブルー』で、監督は勿論、映画を完成させた立役者、リュック・ベッソンだ。


 『グラン・ブルー』。伝説のフリーダイバー、ジャック・マイヨールをモデルに、深海を愛し、イルカと対話する青年と親友の友情を描き、公開当時も今も映画を熱愛する"グラン・ブルー・ジェネラシオン"と呼ばれるコアなマニアを持つ。大袈裟でなく、映画史に残る海とダイバーとイルカへの慈愛溢れる深海ファンタジーである。


  しかし、映画が持つ信じがたい透明感とは裏腹に、製作の舞台裏では信じたくない映画業界独特の生臭い駆け引きが展開していた、とは、ベッソンの言い分である。一応、ここでは彼の側に付いて話を進めていこう。


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17歳の少年を映画に向かわせた衝撃の出会い



 始まりはまるで青春映画のようだった。1976年 。当時17歳の天才ダイバーだったベッソンは、ようやく海が青く輝き始めた6月、期末試験のバカロレア(国家資格試験)が終わるや否や、愛用のフィンを携えて南イタリアへ向かった。スキューバダイビングに没頭するためだ。だが、3ヶ月間、計180回にも及ぶ過度な潜水は17歳の体を蝕み、副鼻腔炎を悪化させてしまったベッソンは、医師から生涯スキューバを禁止されてしまう。


 人生の目標を奪われ、意気消沈したベッソンは、ある夜、古代劇場で上映された1本の映画を観て号泣する。水面下100メートルの深海まで素潜りして、また浮上してくるフリーダイバーの神々しい姿に。それが、ジャック・マイヨールとの出会いだった。その時、ベッソンは「いつか誰かが、海について立派な映画を作らなくてはいけない」と心に誓う。




 翌1977年、ダイビングに代わる職業として映画を選択したベッソンは、エネルギーの捌け口として『グラン・ブルー』の製作を思い立つ。これが、言ってみれば青春映画の終焉であり、同時に、リアル業界内幕劇の始まりだった。


 7年後の1984年、『サブウェイ』の現場にいたベッソンは、主演女優イザベル・アジャーニのディーバぶりに若干辟易していたが、そんな苦労は前年に公開された長編デビュー作『最後の戦い』の時に培った忍耐力で何とかクリアできた。問題は、アジャーニに招かれてスタジオを見学しに来たウォーレン・ベイティの方だ。当時のベイティは『レッズ』(81)で悲願のアカデミー監督賞を受賞し、次回作『イシュタール』(87)でアジャーニと共演することが決まっていた。



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