映画ビジネスに巻き込まれていくフランスの若造
1985年。『サブウェイ』の予算超過分と『最後の戦い』の借金を埋め合わせしてもらおうと、ベッソンは旧知のゴーモン(フランスの大手映画製作会社)に駆け込み、出資を取り付ける一方、エンゾ役のジャン・レノ、音楽のエリック・セラ、そして当初はジャックを演じたがっていたクリトスファー・ランバートを伴いロケハンを開始。一方、契約のためにL.A.のベイティ邸を訪れ、一応脱稿したスクリプトを手渡すも、決定待ちとの答えが返ってくる。ちなみに当時のベイティの日課は、毎夜8時のニュースを観ながらルームランナーで30分ジョギングすることだったとか。
1986年。ベッソンは映画の命とも言える、深海撮影が可能な新型カメラの開発に目を配りつつ、ベイティから前金として手渡された25,000ドルをロケハンで使い果たしてしまい、相変わらず資金繰りに苦慮していた。一方、ベイティはマイヨールのバックグラウンドをスクリプトに書き加えることを指示したまま、『イシュタール』の準備に入ったため連絡が取りづらくなっていく。この時点で、ベッソンは『グラン・ブルー』をハリウッド大作になどしたくないという、そもそも論に立ち返っていた。自分は舞い上がっていただけなのだと。
こうして、彼はベイティに丁寧な断り状を送付し、ない金を掻き集めて25,000ドルを返金する。彼が駆け込んだのはやはりゴーモンだった。ベッソンから脚本を受け取ったゴーモンの会長兼CEO、ニコラ・セドゥ(レア・セドゥの大叔父)は内容に深く感銘を受け、製作を希望。同時に『サブウェイ』を観て食指を動かしたワーナーからも連絡が入り、ゴーモンとワーナーはさらなるリライトを条件に共同製作を模索する。
『グラン・ブルー』© Photofest / Getty Images
キャスティングも難航していた。L.A.で面会したロザンナ・アークエットは、ベッソンが語り聞かせた物語に心底感動した模様で、ジャックの恋人、ジョアンナ役に即決だったが、問題はジャックだった。ランバートに断りの連絡を入れた後、パリで会ったミッキー・ロークは予想通り無理だと分かり、ニコラ・セドゥは何を思ったかベッソンこそが適役だと言い出す始末。それを聞いたアークエットはマジ顔でベッソンに10キロの減量を求めて来た。そんなジョークみたいな出来事の後、ロンドンのオーディションで遂にダイバーとしてのロマンを全身に漂わせる、ジャン=マルク・バールと出会うことになる。