『ヤクザと家族 The Family』に詰め込んだ信念と美意識。そして、A24挑戦の夢――藤井道人監督が語る、過去・現在・未来【Director's Interview Vol.104】
ヤクザが題材だけど、「僕たちの話」でもある
Q:あともうひとつ、藤井監督の作品には初期作から一貫して「社会」という要素があるように思います。個人の対義語としての社会ではなく、登場人物たちに影響を及ぼすものとして社会の諸問題が横たわっている。『青の帰り道』(18)でも、そういったニュアンスを感じました。
藤井:20代のころは、フリーターだったこともあって「社会とつながりたい」という欲求がすごく強かったんですよね。大学を卒業して「俺は映画監督になるんだ」と言っているのに、社会に属さずにモラトリアム期を過ごしていたから、その焦りもあったんだと思います。
いまでこそ、「1人の人間を描くと、社会というものがまとわりついてくるのだ」ということ、そしてその性質が自分の脚本にあるというのは理解できます。逆にいまは、意識せずとも脚本が自然と「社会」をまとっていきますね。
ただあの頃は、とにかく必死に社会との接点を見つけたかった。『青の帰り道』を作っていたときは、そんな意識が一番強かった時期でしたね。
(c)2021『ヤクザと家族 The Family』製作委員会
Q:なぜそのようなお話をしたかというと、近年の日本映画だとエンターテインメント性を保ったまま、社会性を持った映画を作ることがすごく難しいのではないか、と個人的に考えていて……。娯楽作において社会性から離れたほうが是とされる風潮がありますが、藤井監督は両立を目指しているように感じます。
藤井:従来の邦画を踏襲していても、先輩たちの作り上げてきたものには勝てないな、という思いもありますし、僕がもともと好きだった映画がエドワード・ヤン監督やジャ・ジャンクー監督の作品など、アジアの作品でも無国籍感があるものだからかもしれませんね。
ただ、おっしゃることはすごくよくわかります。『新聞記者』を経てから「この監督は社会派で行く」と定義されがちなので(苦笑)。
Q:感覚として、「社会派」と「エンタメ」が分けられてしまっていますよね。
藤井:そうですね。でも僕は、どうやっても多くの人に観てほしいんです。1900円の価値を持つものとして、たくさんの方に届けたい。作家性も入れつつ、ちゃんとエンターテインメントとして見せ切りたい、という意識はありますね。
今回は「ヤクザ」という題材だけれど、「これは僕たちの話だ」と思って作っています。いまは必要とされなくなってしまった仕事だったり、映画でもフィルムからデジタルへの移行があったり、そういった栄枯盛衰って他人事ではないじゃないですか。自分にも絶対そういう未来は来るものですし。ヤクザを描いてはいるけれど、僕たち自身の話だよ、というのは問いかけたいなと思っています。
Q:おっしゃる通り、他人事と思えない普遍性がありますよね。同時に、娯楽性と社会性の両立を目指してきた藤井監督とスターサンズの挑戦心が詰まった作品だと思います。
藤井:僕は10年ほど映画を作ってきましたが、これが「社会派映画で、自分から遠い話だ」と思われてしまうと、また10年積み上げなくちゃいけないのかなってなっちゃいますね(苦笑)。そうならないようにも、綾野剛さんは精力的に宣伝をして、一般の方々に本気で届けようとしてくれています。とてもありがたいですし、感謝していますね。