佐木隆三のまなざし
Q:今までの西川作品と比べると、今回は非常にオーソドックスな話のように思えました。また、映画では原作そのままの箇所が結構多い印象があり、ケンカのシーンなどは原案小説が字コンテかと思うくらい忠実に再現されていて驚きました。ご自分で脚色した部分と小説とのバランスはどのように取られたのでしょうか。
西川:脚色という行為は、私にとって初めての経験だったので、最初から小説をうまく取捨選択できたわけではないんです。例えば、看守に反抗的な態度を取って、自分でため込んだ糞尿をぶちまけたエピソードとか、字面だけでも面白いし、映画にしたい場面は他にもたくさんありました。また、主人公の生い立ちや、刑務所に入る羽目になった殺人の場面なども、やっぱり映画だから入れるべきなんだろうかと、その辺の取捨選択は相当時間をかけましたね。
だけど、刃物を持ってズタズタに人を刺すシーンこそが、一見映画的なようで実は一番既視感がある。だから一番削ぎ落とすべきはそういうところで、そんなものでは人はもう驚かないなと。
この話の面白さって、犯罪の恐ろしさや狂気ではなく、元犯罪者が普通になっていくことがすごく困難なところにあるわけです。そういった画にならない地味なものを、どうやって積み重ねて映画にするか?その辺りは随分苦労しましたね。
そこで、小説には少ししか出てこなかった角田(映画では津乃田)というキャラクターを、この映画の語り部みたいにして使ったり…。もうね、時間がかかりますよ、ほんとに。プロの脚本家ではないので、そうトントンとはアイデアは浮かばなかったですけどね。
©佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会
Q:これまでの西川作品を観たり、西川監督が書かれたエッセイなどを読むと、いつも考えに考え抜いてゼロから話を作り上げている印象がありました。しかし今回は原作モノでベースとなるお話がある。それで、いつもより多少は楽なのかな…なんて、勝手に思っていました。
西川:脚色に慣れてなくてかなり苦労はしていますけど、でもまあ、楽してる部分も絶対ありますよね。佐木隆三さんにいいセリフを書いてもらってますしね。自分からは決して出てこないけど、こんな風に書いてみたいなっていうセリフもたくさんあったので、そこをうまく映像に落とし込めたときは「やった!」と思いましたね。
そうやって、佐木さんが書かれたセリフを映画にできた嬉しさもありますが、時代設定を変えるところが一番苦労したかもしれません。単に移し替えているだけだと、今の時代では通用しなくなったことで矛盾も出てきます。その辺はたくさん取材をしながら、細かいところを調律する感覚で現代にシフトさせていきましたね。
Q:劇中で、「淑女のための男性パートナー募集」みたいな詐欺まがいのポスターに、三上がまんまと引っかかって電話するシーンがあります。あの手のポスターはよく見かけるので、映画オリジナルのエピソードかと思いましたが、小説にもちゃんとあるんですね。
西川:確か小説では、家に電話がかかってくるんですよね。
Q:はい。あのシーンは笑いました。今の時代にうまく変換してたんだなと、あとで小説を読んで驚きました。
西川:最近は固定電話じゃないし、家にセールスの電話がかかってくることもなかなかないですよね。今の時代だと何になるかなと思ってたら、商店街でああいうポスターを見かけたんです。これいいなと思って、私も劇中の三上のように、スマホでパシャと撮りました(笑)。
Q:先ほども少し言及された、仲野太賀さん演じる津乃田ですが、小説を読んでいると、同じアパートの住人のコピーライターの角田がモデルだなと思っていました。ですが、佐木隆三氏自身も登場する、小説の補遺の部分まで読むと、実は映画の津乃田って佐木さん自身を投影されているのかなと…。
西川:まぁ、でもそのとおりですね。私は「身分帳」を読んだ時に、山川(三上)にずっと付き添った存在を何か感じていたので、太賀君の役には佐木さんを投影して描かせてもらいました。
佐木さんと山川がこういうふうに付き合ったんだなという、佐木さんのまなざしが「身分帳」の全編に渡ってあるんですよね。例えば、コピーライターの角田に自身を投影していたり、スーパーの店長と山川のやりとりは、親身になって将来を心配した佐木さんと山川のやりとりが書き起こされたのでは、とも思っています。
©佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会
Q:では最後の質問です。西川監督が映画化するほど夢中になった佐木隆三作品ですが、「身分帳」以外におすすめの作品があれば教えてください。
西川:私は「供述調書」という作品も好きですね。供述調書の写しそのままのような表現も多かったと思いますが、虚飾のないストレートで事務的な言い回しの中に、フィクションでは作り得ないリアリティーや生々しさが渦巻いている。そこが面白いなあと思うんですよね。
佐木作品はどれを読んでも似たような筆致があると思いますが、「復讐するは我にあり」はもちろん「悪女の涙―福田和子の逃亡十五年」なんかも面白いですね。謎解きミステリーの面白さにはない、今まさに自分の横で事件が起こっているような、そんな感覚があります。ゾクゾクしますよ。
取材後、映画『すばらしき世界』の成り立ちを綴った西川監督のエッセイ集「スクリーンが待っている」が発売された。早速買って読んだのだが、映画化へ向けて邁進する監督の姿が描かれ、これまためっぽう面白い。
そうやって、『すばらしき世界』→「身分帳」→「スクリーンが待っている」と楽しんできたわけだが、今はもう一度、この映画が観たくてたまらない。もちろん映画だけでも十二分に楽しめるが、個人的にはこの順番での体験も強くおすすめしたい。まるでそこには、西川監督と一緒に映画を楽しんでいるかのような、新たな体験が詰まっている気がしてならないのだ。
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脚本・監督:西川美和
1974年生まれ、広島県出身。オリジナル脚本・監督デビュー作『蛇イチゴ』(02)で第58回毎日映画コンクール脚本賞受賞。長編第二作『ゆれる」(06)は第59回カンヌ国際映画祭監督週間に正式出品され国内で9ヶ月のロングラン上映に。続く『ディア・ドクター』(09)で第83回キネマ旬報ベスト・テン日本映画第1位を獲得。その後『夢売るふたり』(12)、『永い言い訳』(16)とつづけてトロント国際映画祭に参加するなど海外へも進出。一方で小説やエッセイも多数執筆しており、『ディア・ドクター』のための僻地医療取材をもとにした小説「きのうの神さま」、映画製作に先行して書いた同名小説「永い言い訳」がそれぞれ直木賞候補となるなど高い評価を受けている。本作の制作過程を綴った『スクリーンが待っている(小学館刊)』が発売中。
著者 西川美和
発売日 2021年1月15日
定価 本体1,700円+税
体裁 四六判・上製・288頁
映画『すばらしき世界』の発案から公開直前まで、約5年の思いを綴るエッセイ集。
小説誌「STORY BOX」の連載を中心に、映画の世界を離れたテーマの読み物と、『すばらしき世界』のアナザーストーリーともいえる短編小説を収録。
取材・文:香田史生
CINEMOREの編集部員兼ライター。映画のめざめは『グーニーズ』と『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』。最近のお気に入りは、黒澤明や小津安二郎など4Kデジタルリマスターのクラシック作品。
ヘアメイク:千葉友子
『すばらしき世界』
2021年2月11日(木・祝)全国公開
配給:ワーナー・ブラザース映画
©佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会