『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』「映画を撮るために生きている」池田暁監督の奇異なる世界を楽しみ抜いた、前原滉&きたろう【Director’s Interview Vol.109】
虚構の世界を作って、リアルの出来事を描く
Q:劇中の「動き」についてもぜひお聞きしたいのですが、それぞれの身体から「現代性」を抜いていくのは、大変ではなかったのでしょうか。監督と役者それぞれの目線からお聞きしたいです。
池田:先ほど「演出に関しては言語化が難しい」とお話ししましたが、動きについては、明確なんです。ある種の振り付けのように、「カメラの画角がこうだから、ここに来てこう振り返って」というのは、最初からきっちりお伝えしました。
前原:やる側としては、最初は大変でしたね。「まっすぐ歩いて直角に曲がる」という『ドラクエ(ドラゴンクエスト)』みたいな動きって、日常でしないじゃないですか(笑)。でも、不思議だなと思ってやっているうちに、馴染んでくるんですよね。
きたろう:時代も登場人物も虚構だから、リアルに作り上げよう、という感覚はないかもしれない。虚構になっていこう、という感じかな。
前原:そうですね。池田さんの頭の中にあるイメージに近づけよう、と思ってやっていました。
(c)2020「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」フィルムプロジェクト
きたろう:池田監督は、「リアリティ」をどう捉えているの?
池田:この映画に関しては、表現方法はリアルじゃないけど実はリアルな世界のことを描いています、という感覚ですね。リアルをそのまま僕が描いても面白くならないし、テーマ的なことを押し付けたくもない。だったら勝手に世界を作っちゃえばなんでもできるぞ、という考え方です。
Q:池田監督の画作りは、アキ・カウリスマキやロイ・アンダーソンを彷彿とさせると言われていますが、ご自身が構図において影響を受けた方はいらっしゃいますか?
池田:明確に「この人」というのはいないかもしれません。どちらかというと、この動きを撮りたい、じゃあこの構図だよね、という流れなんです。背景もそれに合わせて作りますね。絵コンテは自分で描きますが、「これを撮りたい!」というよりも自分が何をしたいかを整理するために作っています。
本作の撮影監督は、『化け物と女』と同じ池田直矢さんですが、川のシーンの撮影で、モニターを観ながら僕が「ちょっと違うな」と思っていたら、伝える前に「違いますよね」と言ってくれたんです。池田さんの中でも共通認識ができていて、もめることは一回もなかったですね。
きたろう:撮影の池田さんには本当に助けられているよね。『化け物と女』のときに、池田監督はワンカットで行こうとしていたんだけど、池田さんが「カットを割らないと」と提案して。監督は「はい」って素直に言ってました(笑)。
池田:はい(笑)。
Q:池田監督は、『山守クリップ工場の辺り』(13)がロッテルダム国際映画祭やバンクーバー国際映画祭でグランプリを受賞するなど、海外でも高く評価されています。国外も視野に入れた作品作りをなさっているのでしょうか。
池田:『山守クリップ工場の辺り』に関しては、まったく意識していませんでした。方言があるので、英語字幕を付けるのも大変なんです(苦笑)。あの作品に関しては30代半ばで撮ったのですが、「これでダメだったらやめちゃおう。だったら自分の好きなものを撮ろう」と思って自由に作りました。
それがたまたま受け入れてもらえたという流れがあるので、『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』でも海外に向けて、というような意識はなく、元々やりたいことの延長で作りました。