映画界の高田純次的ポジションを取りたい
Q:吉田監督は、ご自分の作品の価値をわりと冷静に値踏みされている印象があります。だからこそ、世評とのギャップに歯がゆさはあったんじゃないでしょうか?
吉田:ありました、最初はありましたよ。でも、もはやそれが俺のキャラになってるなと思ったんですよね(笑)。
俺は自分の中ではいつも一等賞のつもりで作っていて、でも、それは自分の趣味でいう一等賞で、映画賞なんかを選ぶ人たちの趣味とはちょっとズレてると思うんです。でも、俺がそっちに合わせる必要はないじゃないですか。
だから見え方として、無駄に期待感も持たれず、あの人いつも好きなことやってるよねっていう自由人みたいな枠組みがいいというか。理想を言えば、映画界の高田純次的なポジションを取りたいんですよね。どこに行っても許されるし、ディスりづらいし、かといって冠番組をやるタイプでもないよねっていう。そのポジションの方が長く生きられる気もするんだよなぁ。あの人終わったねとか、落ちたなとか、そういうのって高田純次にはもはや感じないじゃないですか。
吉田恵輔監督
Q:今の話、自分のペースで映画監督をずっと続けていくという宣言だと受け取ってもいいですか?
吉田:うん、そうですね。なんか、あんまり焦らなくなってきたんですよ。評価もそうだし、絶対に年イチペースで作りたいとかでもなく、もう何でもいいやっていう気になってますね。
Q:吉田監督は、トビー・フーパーが審査員長だった2006年のゆうばり国際ファンタスティック映画祭に「なま夏」を出品して、オフシアターコンペティションのグランプリを受賞しています。ただ、あの時も受賞が大きく注目されたわけではなかったですよね?
吉田:そうですね。でも、あの時点で『机のなかみ』はクランクイン直前だったし、監督デビューできる道は決まってはいたんです。『机のなかみ』のマスコミ試写には『純喫茶磯辺』(08)のプロデューサーになる人たちが来ていて、そっちの企画も動いていましたから、わりとポンポンと軌道には乗った。でも、あの頃が一番焦ってましたね。
鉄は熱いうちに打てじゃないですけど、当時なんとなく思っていたのは、もし首都直下型地震みたいなことが起きて、映画の製作がすべて止まったとして、一年後とか二年後に再開する時に名前を思い出してもらえる人に早くなりたかったんですよ。プロデューサー陣が、「これって吉田さんっぽいからお願いしよう」と言ってもらえるような。
例えばPFFとかゆうばり映画祭でグランプリ獲っても、やっぱりその年にハネないと「二年前、三年前のグランプリって誰だっけ?」みたいな感じになるという焦りがあった。でも、今はこうやって特集とかしてもらえるくらいになったんだから、もういい加減でいいじゃないって気がしてきますよね。