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『ホドロフスキーのDUNE』の伝説【川原瑞丸のCINEMONOLOGUE Vol.63】

『ホドロフスキーのDUNE』の伝説【川原瑞丸のCINEMONOLOGUE Vol.63】

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実現しなかったからこその伝説





 豪華な出演陣、一流のセンスを持ったクリエイターたち、とどまるところを知らないホドロフスキーのイメージ。完成していれば時代を2世代は先取りした挑戦的な大作となり、文化地図といったものを書き換えていたことは間違いないとんでもない作品。そんなホドロフスキーの『デューン』に完成して欲しかったかどうかと言えば、もちろん心底観たかったと思うが、しかし個人的にはこれでもよかったのではないかと思う。


 もちろんホドロフスキーの落胆はぼくには想像も及ばないし、とやかく知った口をきくことはできない。あちこちから確かな才能を集め、ダリとウェルズのような大物にも直談判、実の息子を主人公ポール・アトレイデスにすべく訓練を施すなど、ひたすら情熱を注いできた作品である。ほとんど人生と同義となった仕事が形にならず途中で終わってしまったとしたら、ぼくなら自分の一部がぽっかりなくなったかのような気分になるだろう。しかし、本人も言うようにその行き場を失ったエネルギーは彼を次の作品へと向かわせ、失敗もまた選択肢だと言わしめた。ここがこの人のすごいところではないかと思う。全てに対する肯定の精神。見習いたいところである。


 『デューン』に注がれたエネルギーの多くが他の傑作を生み出していったことはすでに書いた。『デューン』からなる系譜が存在し、後世に影響を与えている以上、その仕事には大きな価値があった。もしかしたら完成した映画以上の価値だったのかもしれない。実現しなかったにも関わらずこれほどの存在感を放ち、もはやこの『デューン』に並ぶ作品は存在し得ないとさえ言える。映画化に成功したバージョンでさえ、ホドロフスキーの『デューン』とは比較することはできないのだ。幻の作品となったからこそ、伝説として不動の地位を得たのである。


 ヴィルヌーヴが映画化するまで、長い間唯一の映画版だったデヴィッド・リンチの『デューン/砂の惑星』は、ホドロフスキーの企画が頓挫して10年近く経ってから公開された。ホドロフスキーはリンチを評価していたので、ショックを受けると同時に、リンチこそ自分以外では『デューン』を撮るのに相応しく、むしろ自分よりうまく作るだろうと思ったそうだが、恐る恐る劇場に行ってみると……。そのときのことを生き生きと語るホドロフスキーがまた実に愛らしい。映画が始まる前は泣き出しそうだったのが、だんだん元気が出てきてうれしくなった。つまるところ不出来だったのである。「失敗だ!」そう確信したときの喜びの表情と言ったら。本当にうれしそうで、本作のホドロフスキーが見せるいろいろな表情の中でも特に好きだ。

 

 このドキュメンタリーが撮られたのと同じ頃、ホドロフスキーはかつて『デューン』をともに作るはずだったプロデューサーのミシェル・セドゥ(女優のレア・セドゥの大叔父にあたる)と再会し、自身としては当時23年ぶりとなる作品『リアリティのダンス』を手掛けることになる。中止となった『デューン』と同様、息子ブロンティスが主演である。幻の企画が大きな重力の中心となったのと同じように、映画が結んだ縁もまた続いていくのだ。



イラスト・文:川原瑞丸

1991年生まれ。イラストレーター。雑誌や書籍の装画・挿絵のほかに映画や本のイラストコラムなど。

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