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『名付けようのない踊り』田中泯×犬童一心監督インタビュー 「私のこども」をちゃんと持っている人が大人なんです【Director’s Interview Vol.178】

『名付けようのない踊り』田中泯×犬童一心監督インタビュー 「私のこども」をちゃんと持っている人が大人なんです【Director’s Interview Vol.178】

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踊りが創る「場」こそが踊り



Q:スクリーンの中で踊る泯さんに終始釘付けになりますが、併せて印象的だったのは、泯さんの踊りを見ている周囲の人たちです。泯さんを知っている方はもとより、泯さんのことを知らないであろう人たちや、子供たちでさえも泯さんは引き寄せていく。まさにあの「場」では、泯さんと周囲の人の間には何が起こっているのでしょうか。


犬童:アイドルのコンサートみたいに、何万人が一斉に見ている感じとはちょっと違うんですよね。泯さんの踊りを見ている人たちは、それぞれがバラバラに、勝手に見ている感じなんです。一人一人が「何だろう」って、好奇心を持ってずっと見つめている。そういう見ている人たちの顔がすごく面白くて、泯さんを撮っていても周りの人たちもつい一緒に撮ってしまう。そこには面白い独特の空間が生まれているんです。


泯さんはどの場所で踊っても、自分の踊りについて説明することはないので、周りの人たちはそれぞれ好きに見て、それを持ち帰っているだけなんです。でもそれがすごくいいんですよ。


田中:劇場でのいろんなパフォーマンスや演劇のように、僕は言葉で観客を包み込むことをしていません。だから見ている人はみんなバラバラでいい。何ならそこにいてくれれば、そっぽを向いててもいいんですよ。その時間が「見た人にとって何事であったのか」ということが、僕にとっては興味があるし、それが豊かになることが「踊り」ということなんです。踊りが何を伝えたかなんてどうでもいいんです。踊りが創る「場」こそが踊りなんです。



『名付けようのない踊り』©2021「名付けようのない踊り」製作


犬童:これを言うと怒られそうだけど(笑)、泯さんの踊りを見ている最中に、僕はたまに目を閉じている時があるんですよ。


田中:でもそれ大切なことなんだ。自分の時間にちょっと帰ってみるみたいなことだよね。


犬童:そうなんですよ。目を閉じて開くと泯さんがそこに踊っている。それがまた良かったりする。実際の踊りはそういう感じなんです。普通だと、目を閉じてしまうと何か見逃すんじゃないかって心配があるのですが、それはストーリーみたいなものを自分の中で勝手に作っているからだと思うんです。でも泯さんの踊りはそういうことが強要されない。見てるとそのうちに分かってくる。


田中:いびきが聞こえてくることもありますからね(笑)。


Q:私は映画のスクリーンを通して踊りを見ましたが、「ただただ見た」という感じでした。「ただただ」というのは、とにかくそのまま目の前のものを捉えているという感覚でした。


田中:それは僕にとっては、ものすごく褒められていることですね。要するに踊っている時は「田中泯」というものになる必要がないわけですよ。普段僕は田中泯たろうとしてしまうわけですが、踊っている時はそうじゃないんです。何になっても構わない。ひょっとしたら、木の側に行って、木みたいに動かずにずっとそのままでいるかもしれない。そういうことが起きない理由はないんです。


「踊りはわからなくちゃいけない」と言われると「いや、わかるものじゃないと思うんだけどな」ってなっちゃうんですよね。


犬童:泯さんはいろんな国で踊っていますが、見ている人たちはどの国の人も同じ顔になっている。そこが面白かった。それで見てる人たちも撮りたくなってしまうんです。そこはすごく印象的でしたね。見ている方も泯さんと同じような状態になっているのかもしれない。それもすごいなと思いますね。




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