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『流浪の月』李相日監督 日々求められる数多の判断、最終的に頼るものとは【Director’s Interview Vol.206】

『流浪の月』李相日監督 日々求められる数多の判断、最終的に頼るものとは【Director’s Interview Vol.206】

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最終的に頼るのは“感覚”



Q:本作ではネットが生み出す中傷や、それに基づく偏見などの社会問題も描かれます。これも李作品の特徴の一つだと思いますが、そういった問題を映画というエンターテインメントで描くことの意義をどう捉えていますか?


李:社会問題というよりも、一人ひとりの心の問題として捉えるような感覚です。もちろん、社会についての考察と映画は切り離せませんが、あくまで個人としてどう感じ、考えるか。もし誘拐事件の犯人と被害者が一緒にいるのを目にした場合、自分も「あまり気持ちの良いものではない」と思ってしまい、肯定的に考える自信も無ければ、脅威にすら感じるかもしれない。あるいは被害者を哀れな存在とみなしてしまう。そういった人の心の問題が他者を傷つけ苦しめる。そしてその苦しみに耐えなければならない人たちがいる。それがこの映画の核になっている気がします。


個人の良心というものを考えていくと、良心を殺して常識に合わせていくのか、あるいは良心を守るべく常識と対峙していくのか。苦しい選択に直面することとなる。エンタメ性を備えた物語だからこそ、全く自分とは交わらない人々やその人生に共鳴し、思いを馳せることができると思っています。



『流浪の月』(c)2022「流浪の月」製作委員会


Q:映画製作には、脚本執筆という比較的個人的な作業から、撮影という大人数での共同作業、そして編集という少人数の作業と、多様な作業形態の流れがあります。監督の頭の中にある「映画」はその時々でどのような状態になっているのでしょうか?


李:多数の人が関わることで、思いもしなかった解釈があったり、別の視点が生まれてくることもある。「そうか」と唸らせられることもあれば、理解に苦しむ反応もある。なので、悩むことが尽きません。ブレないことと柔軟さの両方が要求される厄介な局面がいっぱいあって、間違ってもいいからブレないことが大事な局面もあるし、自分のプライドはさておいて、柔軟に対処することが求められる局面もある。ひとつひとつの判断の積み重ねが本当に難しいし、特に撮影現場はその連続です。自分でも、日々どこまで正しい判断を積み重ねられているか分かりませんが、最終的に頼るのはやっぱり感覚なんです。


その感覚に説得力を持たせるために必要なのが、脚本作りだと思います。脚本を作っている時に、自分の中での疑問や間違いに突き当たることで、作品に対しての核が少しずつ育っていく。現場で悩んでどちらか分からない時に、初心を頼りにする。脚本作りは本当に孤独で苦しい作業なので、得意ではないし好きじゃない。でも、最も作品と自分が向き合う時間でもあるので、自分自身が何をやりたいかを突き詰めることができます。




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