『峠 最後のサムライ』画面向かって左から編集:阿賀英登、監督:小泉堯史、撮影:上田正治
『峠 最後のサムライ』監督:小泉堯史 × 撮影:上田正治 × 編集:阿賀英登 写すものをきちんと作る【Director’s Interview Vol.218】
写しているものに集中する
Q:「普通」という視点で言うと、フィルムでの撮影も皆さんにとっては特別なことではなく、普通の選択肢といったところでしょうか。
上田:スタッフも皆分かっている。結局フィルムの方が良いわけです。だけど今の役者なんかはフィルムの価値を知らないんじゃないですかね。今の役者は自分の芝居をモニターに見にくる。自分の芝居を点検するようじゃ、もう役者なんてやめた方がいいですよ。「俺はどういう芝居をしてた」なんて、そんなことは役者が決めることじゃないんだから、そういうことを言うんだったら監督をやるべきなんです。それは監督に対して失礼ですよ。だから、最近の映画はロクなもんじゃないんだよ。映画館でやれば映画だってわけじゃないんですよ。今はそんなこというと、俺がクビになっちゃうけどね(笑)。
Q:フィルム撮影ということもあり、現場にはモニターは置かれていないのでしょうか?(※フィルム撮影でもモニターでチェックすることは技術的には可能)
小泉:置いてないですね。使ったこともないから使い方が分からない。現場では、カメラが写している“もの”をスタッフ全員が見ないといけないんです。フレームの外まできちんと見てないとね。黒澤組での撮影は皆一点を見つめて集中してたから、それはもう針が落ちても分かるぐらい緊張してましたよ。今何を撮っているのか、写しているものに皆集中しているわけです。たとえば衣装部は衣装の襟がどうなってるか気になるわけだし、小道具も自分が置いたものが今どこにあるのか気になるわけです。そういうことが画を作る上で大事なことで、皆それを現場で見て育ってきた。それが常識であり普通なんですよね。
『峠 最後のサムライ』©2020「峠 最後のサムライ」製作委員会
だから置いてある小道具一つとっても、このシーンでは何をここに置いたらいいのかをしっかり考える。時代劇だったら、その時代に合ったものを探して置いておく。もし変なものを置いていると、その違和感は俳優さんに伝わるんです。俳優さんに「何だこれは⁉︎」と思われたらダメなわけです。そういうところまで神経を使って置いておく。決してその辺で売っている盃を置くのではない、その時代にあってもおかしくない盃を置くのがプロですよ。
俳優さんだけじゃなく、上田さんも見ているし、照明部も見ている。そうやってきちんとしたものを揃えてちゃんと写そうと皆で一生懸命になる。もちろん全て完璧にというのはなかなか難しいですよ。でもそういう風にやろうとしなければ、映画を作る楽しみだってないんじゃないですかね。
Q:撮影前にスタッフに脚本が配られると思いますが、その際に監督から具体的に伝えることなどはないのでしょうか?
小泉:ないですね。それぞれのスタッフに脚本を読んでもらってそれが全てです。後は各パートできちんと考えればいい。上田さんは上田さんなりのビジョンを持って脚本を読んでくれているし、照明部はどういうライトをあてようかと考えながら読んでくれる。小道具はどういう物を揃えたら時代にあっているかを考える。それで認識が違うことはあまり無いですね。たまに小道具がとんでもいない物を持って来たりするけど(笑)。でもそれで学んでいくこともある。特に時代劇の場合は、初めての人は刀の使い方も分からないですから。そういうことを一つ一つ覚えてやっていくことが大事ですね。