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『ミーティング・ザ・ビートルズ・イン・インド』ポール・サルツマン監督 ビートルズの映画だが、若者の自分探しでもある【Director’s Interview Vol.238】
レノンvs導師マハリシの真相とは!?
Q:ビートルズのファンにとって嬉しいのは、いくつかの名曲が生まれた瞬間のエピソードです。“コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロウ・ビル”のモデルとなった人物との面会は、その好例です。これはジョン・レノンがある猟師を風刺した歌ですが、よりセンセーショナルな曲として“セクシー・セディ”があります。この曲は導師であるマハリシが女性信者に手を出していたと、ジョンが信じ込んでしまったことから生まれた曲ですが、これについて劇中で触れてないのは、何か理由があるのでしょうか?
サルツマン:“セクシー・セディ”のエピソードは初期の編集段階にはわずかだが入れていたんだ。あの歌でジョンがマハリシを中傷したのは、多くのファンが知る通り、ジョンの側近マジック・アレックスが、ジョンがマハリシに傾倒することを阻止しようとしてついた嘘に起因している。アレックスの嫉妬や悪意が、ジョンにあの曲を書かせることになってしまったんだ。一方でジョージはマハリシを擁護し続け、彼とポールは後にマハリシに謝罪をしている。ニューヨークタイムズも“セクシー・セディ”の真実についてリサーチして、マハリシのスキャンダルを虚偽として訴える記事を発表した。ジョンに嘘を吹き込んだアレックスはニューヨークタイムズを告訴すると騒いだものの、無駄な抵抗だった。
『ミーティング・ザ・ビートルズ・イン・インド』© B6B-II FILMS INC. 2020. All rights reserved
ともかく、この事件は、私がインドを去ってから起きたことだ。補足的に入れていたそのエピソードは、この映画の中ではどうしてもネガティブに映った。そこで、自分がインドで経験したことだけを映画にしようという思いを新たにしたんだ。
『ミーティング・ザ・ビートルズ・イン・インド』は、その場に居合わせた当事者、すなわちサルツマンの視点から見た1968年のビートルズの貴重な記録映画であるのは間違いない。しかし、一本の映画として見たとき、それは若かったサルツマンの人生の新たなステップを踏み出すまでのドラマとしても楽しむことができる。ビートルズのファンはもちろん、そうでない人にも、人生の岐路に立つ若者の青春期の物語として熱いものを感じさせるに違いない。
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監督・脚本・製作:ポール・サルツマン
1943年生まれ。エミー賞を2度受賞したカナダの映画、テレビのプロデューサー、監督であり、300本以上のドラマやドキュメンタリー作品を手がけている。 俳優モーガン・フリーマンが出演した2008年の長編ドキュメンタリー映画『Prom Night in Mississippi』は、2009年のサンダンス映画祭でプレミア上映された。『The Last White Knight-Is Reconciliation Possible?』は2012年のトロント映画祭でプレミア上映され、モーガン・フリーマン、ハリー・ベラフォンテ、ディレイ・デ・ラ・ベックウィズ(バイロン・デ・ラ・ベックウィズの息子)らが出演している。1968年、インドのマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの修道院で瞑想を学ぶ。その際に、ビートルズ、ミア・ファロー、ドノヴァン、ビーチ・ボーイズのマイク・ラヴらを撮影した写真は、著書「The Beatles in Rishikesh」(Viking Penguin; 2000)として出版され、2018年に50周年特別版として再出版された。
取材・文:相馬学
情報誌編集を経てフリーライターに。『SCREEN』『DVD&動画配信でーた』『シネマスクエア』等の雑誌や、劇場用パンフレット、映画サイト「シネマトゥデイ」などで記事やレビューを執筆。スターチャンネル「GO!シアター」に出演中。趣味でクラブイベントを主宰。
『ミーティング・ザ・ビートルズ・イン・インド』
9/23(金・祝)よりヒューマントラストシネマ渋谷、池袋シネマ・ロサ、アップリンク吉祥寺ほか全国順次ロードショー
配給:ミモザフィルムズ
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