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『Yokosuka 1953』木川剛志監督 物事を綺麗に見過ぎていた。語り継ぐべき戦争の事実【Director’s Interview Vol.256】

『Yokosuka 1953』木川剛志監督 物事を綺麗に見過ぎていた。語り継ぐべき戦争の事実【Director’s Interview Vol.256】

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旅の工程に重ねた演出



Q:撮っている最中から映画としての構成は考えていたのでしょうか。

 

木川:ドキュメンタリー映画としての構成はなかったですが、私が観光学部の教員だということもあり、バーバラさんの旅の行程はちゃんと決めました。事前にリサーチして色んな情報を持っているので、「最初は横須賀に行ってこれを見せて、次はここ、そして最後は八王子だろう」と、そういう演出はしていますね。


Q:ではバーバラさんに一度に全ての情報を伝えたのではなく、旅の行程に合わせて徐々に情報を伝えていったと。


木川:そうですね。成田空港からの物理的な距離で言うと、横須賀よりも八王子に行った方が早いのですが、あえてお母さんが生まれた横須賀からスタートして、最後は亡くなった八王子にたどり着くという工程にしました。そこには、バーバラさんの記憶を少しずつ起こしてあげる意味もありました。そして実は研究目的もあり、バーバラさんが5歳までいた町の記憶はどこまで彼女の中に入っているんだろうと、そこを知りたかったこともあります。実際に街を歩いても始めのうちは覚えていないことが多かったのですが、「これは覚えてる!」と初めて言ったのが床屋さんの裏庭にあった井戸。当時井戸や神社は怖いイメージがあったらしく、生活に近いものや怖かったものがエレメントとして記憶に残っていました。



『Yokosuka 1953』©Yokosuka1953製作委員会


Q:バーバラさんにまつわる人々も多数出演されて徐々に真実が紐解かれて行きますが、どのように情報収集されたのでしょうか。


木川:リサーチの段階では現地に行ってもすぐにはカメラを回しません。現地の色んなお店で食事をして、そのお店に来ている地元の方とお話しする。年配の方が多いのですが、まずそうやって仲良くなる。そういった方々はいい意味でお節介なところがあって、調べている人や情報を色々と探してくれるんです。情報が来たらすぐに行ってお会いする。そして新たな方を紹介してもらいどんどん広がっていく。僕のリサーチというよりも地元の方々の協力が大きかったですね。





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