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『Yokosuka 1953』木川剛志監督 物事を綺麗に見過ぎていた。語り継ぐべき戦争の事実【Director’s Interview Vol.256】

『Yokosuka 1953』木川剛志監督 物事を綺麗に見過ぎていた。語り継ぐべき戦争の事実【Director’s Interview Vol.256】

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物事を綺麗に見過ぎていた



Q:そういった年配の方々のコメントはかなり印象的でした。終戦直後を生き抜いてきた方々の当時の話は驚きと恐怖すら覚えます。ある意味『ゆきゆきて神軍』(87)のようでもありました。実際に撮っていていかがでしたか? 

 

木川:そこは僕もショックでした。横須賀という街にどこか特別な感じも受けましたね。例えば「昔、学校に混血児がいてよくいじめてたよ」とか「黒人の子は一番いじめられてた」とか「父親から女は買うもんだって教えられたから」など、年配の方が普通に言われるんです。港町で軍港という環境のせいか、何かしら戦争のにおいや空気感をすごく感じるんです。「ここは横須賀だから」と言う方も多かったのですが、ただそれを語り継ごうとは思っていなくて、自分たちの中に秘めておこうとしてたんじゃないかな。でも僕みたいに聞く人が出てくると、皆火がついたかのように喋り出す。自分は物事を少し綺麗に見過ぎていたなと、すごく勉強になるところはありました。


ちなみに今回の件を自分の母親に話したのですが、褒められるかと思ったら「昔はそうだったからね」で終わったんです。うちの母親は満州に生まれて引き揚げて来た人なので、壮絶な経験もしているはず。つまり自分は、母親たちが見てた世界を実は全然理解していなかったのだなと。時代の差を感じた瞬間でしたね。



『Yokosuka 1953』©Yokosuka1953製作委員会


Q:90歳前後の年配の方々が英語を話せるのも驚きました。そこも横須賀ならなんでしょうね。


木川:そうですね。戦後あの地域は米兵がいっぱい住んでいて、おばあちゃんたちはメイドで働いた経験があり英語が話せる。米兵たちは本国に家族はいますが、こっちの女性と一緒に住むんです。それで子供も作っちゃう。でも朝鮮戦争が終わるとこっちの家族は置いて、多くが本国に帰って行くんです。


Q:バーバラさんに母の面影を重ねる、母の馴染みの方々の一様な反応も印象的でした。

 

木川:横須賀の方々は戦後の大変な時期を耐え忍んで過ごしてきた。バーバラさんのお母さんも、ある意味その時代にすごく翻弄された人。だから皆バーバラさんに会ったときには、心の中で消えてた何かを答え合せをした感じになったのかなと思いますね。





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