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『Yokosuka 1953』木川剛志監督 物事を綺麗に見過ぎていた。語り継ぐべき戦争の事実【Director’s Interview Vol.256】

『Yokosuka 1953』木川剛志監督 物事を綺麗に見過ぎていた。語り継ぐべき戦争の事実【Director’s Interview Vol.256】

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大学教授*である木川剛志氏のもとに突然届いたFacebookメッセージ。それは名前が“木川”であるという理由だけで偶然届いたもの。そのメッセージの内容は木川氏自身の研究内容に重なりそうな部分があり、事は大きく動いていく。そしてこの件の情報収集のために撮影していた映像が、やがてドキュメンタリー映画として生まれ変わる。こうして偶然が必然を呼び『Yokosuka 1953』は誕生した。研究者である木川氏が、どのようにしてこの映画の監督となり、作るまでに至ったのか。話を伺った。(*当時は准教授)



『Yokosuka 1953』あらすじ

2018年の夏、アメリカに住むシャーナという女性から1通のFacebookメッセージが木川剛志のもとに届いた。彼女の母、バーバラは日本で生まれ、5歳の時に養子縁組でアメリカにやってきたという。彼女は外国人と見られる父と日本人の母の間に生まれた“混血児”だった。そして、バーバラの日本名が木川洋子だった。同じ木川という名字をFacebookで検索し、親族ではないか、と木川にコンタクトをとってきたのだった。もちろん、木川剛志は親族ではない。しかし、研究者として戦後混乱期に興味を持っていた、木川剛志はバーバラの実母を探すこととなった。


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最初は映画にするつもりはなかった



Q:きっかけはFacebookメッセージですが、大学教授である木川さんがこのことをドキュメンタリー映画にしようと思ったのはなぜでしょうか。

 

木川:最初はドキュメンタリー映画にするつもりは全くありませんでした。ただ以前に、研究者として色んな方の話を伺ってそれを短編映画にした経験はあったんです。戦時中の空襲で街がどう変わったのか、戦争を経験した年配の方々に話を伺うと「これ、木川先生だから言うけど」と、ご自身のプライベートな体験を語ってくださることがよくありました。その話は研究材料としては使えないのですが、大学の研究者の僕に語ることで、歴史の証拠として後世に伝わることを期待されているわけです。それを映像にする意義を感じた経験はありました。


今回はバーバラさんを日本に呼ぶためにクラウドファンディングを始めたのですが、その報告を作る必要があった。加えてバーバラさんが当時生活していた場所を見せようと、最初から映像を撮り始めたんです。バーバラさんのお母さんを探すにあたり情報収集していくと、戦災孤児や混血児の悲惨な状況がわかってくる。この事実は多くの方に知ってもらうべきだと思い、集めた資料や映像をテレビ局に送ったのですが、地上波で流せる話ではないからか放送を断られることが多かった。逆に僕が映像を作ることを期待されている節すらありました。そういった経緯を経て、撮った映像をもとに自分で映画にしようと決めたんです。



『Yokosuka 1953』©Yokosuka1953製作委員会


Q:撮影には(ドキュメンタリーにはあまり向かないであろう)一眼レフカメラを使うなど、ルックにこだわりを感じますがそこの理由を教えてください。


木川:今回は手伝ってくれた学生をはじめ、多くの方がカメラを回してくれたので色んな画が混在しています。僕も最初に撮った時と後半でカメラが違うのですが、バーバラさんが来日されてからは35mm換算で50mmのレンズを使ってマニュアルで撮影していました。僕自身の見ている視点で映像伝えたいという意図があり、人の目に一番近いと言われる50mmのレンズを使ったんです。また、ドキュメンタリーの場合はブレやボケがあっても大丈夫だと個人的に思っていて、ピッタリ合い過ぎているよりむしろいいんじゃないかなと。





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