スピルバーグの自伝的映画『フェイブルマンズ』(3/3公開)、サム・メンデス監督作『エンパイア・オブ・ライト』(2/23公開)など、“映画”自身をテーマに描いた作品の公開が予定される中、映画大国インドからも、映画『エンドロールのつづき』が到着した。本作は、インドの片田舎でチャイ売りをしていた貧しい少年が、映画との出会いにより自分の夢を見つけていく物語。
そしてこの『エンドロールのつづき』と『フェイブルマンズ』『エンパイア・オブ・ライト』には共通する描写がある。それは映画館のスクリーンに投影される“光”。時代や場所を超え、暗闇に浮かび上がる一筋の光に、私たちはどれだけ心踊らされてきたことだろう。どの作品も改めてそんなことを思い起こさせてくれる。
ナリン監督自身の逸話を元に作られたという本作では、あふれんばかりの映画への愛が綴られていく。監督は、映画や映画館への思いをどのように形にしたのか。話を伺った。
『エンドロールのつづき』あらすじ
9歳のサマイはインドの田舎町で、学校に通いながら父のチャイ店を手伝っている。厳格な父は映画を低劣なものだと思っているが、ある日特別に家族で街に映画を観に行くことに。人で溢れ返ったギャラクシー座で、席に着くと、目に飛び込んだのは後方からスクリーンへと伸びる一筋の光…そこにはサマイが初めて見る世界が広がっていた。映画にすっかり魅了されたサマイは、再びギャラクシー座に忍び込むが、チケット代が払えずにつまみ出されてしまう。それを見た映写技師のファザルがある提案をする。料理上手なサマイの母が作る弁当と引換えに、映写室から映画をみせてくれるというのだ。サマイは映写窓から観る色とりどりの映画の数々に圧倒され、いつしか「映画を作りたい」という夢を抱きはじめるが――。
Index
「光と時間」が映画作りの重要なテーマ
Q:本作を観た後、子供の頃の映画館体験を思い出しました。
ナリン:今回はそうやって自分の映画体験を話してくれる方が沢山います。初めて映画館に行ったときの思い出やフィルムの印象など、そういう話をしてくださる方がとても多い。普段は逆に質問を受けることの方が多いので、面白い現象ですね。
Q:映画を観ていて印象的だったのは「光」でした。映画を撮るのも光、写すのもまた光。光を象徴的に用いた理由があれば教えてください。
ナリン:8〜9歳くらいのときに初めて映画を観たときのことです。インドでは、映画を観に行くことはお祝い行事のように盛り上がるので、1時間かけて電車で街に出て期待がどんどん上がっていました。そして映画館に入って映画が始まった瞬間、光の柱がバーンと見えたんです。当時は座席でタバコを吸ってもよかったので、タバコの煙で光の柱がよりはっきり見えました。そしてその煙の中では、まるでディスコのように影が踊っていた。スクリーンではとても怖いシーンが流れているにもかかわらず、映画の中身よりも光の柱が気になってしまいました。「この光の柱は何なんだろう?」「後ろの映写室でいったい何が起きているのだろう?」そこにまず惹かれたんです。
私の中では、「光と時間」が映画を作る上で重要なテーマとなっています。それで今回の主人公には「サマイ=時間」という名前をつけました。また、ストーリーとは未来永劫存在し続けるもの。映画の場合、最初期はガラスに焼き付けられ、それがセルロイドフィルムへと変わり今はデジタルに記録されるようになった。そうやって媒体は変わってきましたが、ストーリー自体は不変なんです。
Q:今の映画館ではフィルム上映はあまりなく、そのほとんどがデジタル上映です。それでも暗闇に投影された映像を見る点は共通している。それはテレビやモニターを見ることとは決して同じではありません。あの暗闇の中には何が存在すると思いますか。
ナリン:映画館の暗闇は“集中できる環境”だというのが大きいと思います。ストーリーに完全に自分をあずけることが出来る。舞台や歌舞伎なども同じだと思いますが、席について上映までゆったり待つことにより、これから始まる物語に対して自分の心をオープンにする時間がある。実は哲学者のプラトンが「未来の人間は、暗い洞窟の中で椅子に縛り付けられながら影絵を見るようになる」と、何世紀も前に予言しているんです。それは知ったときはすごいと思いましたね。
ただ以前から不思議に思っていたのは映画の上映時間について。90〜120分くらいが普通ですが、でも30分でもいいし6時間でもいいはずですよね。これは精神科医の友人から聞いたのですが、人は夢を見始めるとそれが90〜120分ほど続くそうなんです。もしかすると、昔のフィルムメイカーたちは無意識にこの夢の時間に合わせて映画を作っていたのではないか。映画と夢には強い因果関係があるのかもしれません。