ストーリーテリングの被害者
Q:劇中に出てくる「映画とは物語が全て」「語り手にこそ未来はある。何をどう語るかが腕の見せ所」 というセリフがとても印象的です。これはパン監督自身の映画製作における哲学なのでしょうか。
ナリン:本作にはファザルという映写技師が出て来ますが、私の45歳年上の実際の友人がモデルです。彼は読み書きが得意ではありませんが、「俺に何でも聞いてくれ!何でも知っているから!」と言い、シニカルでユーモア、聡明で鋭い世界観を持っている人でした。彼は腕時計を持っていましたが、その時計を売っていた男のストーリーが面白いから買ったと言うんです。また、政治的リーダーや富裕層はいろんなストーリーを語り、将来我々は騙されるだろう、とも言っていました。未来はそういうストーリーを語る者の手中にあると。
自分が映画監督になり脚本を書くようになって気付いたのですが、その話は究極の真実だったと思います。政治家はストーリー(嘘)を語り我々に一票を投じさせる。また富裕層や企業は素敵なストーリー(広告)を用意して商品を買わせる。世界のどこを見ても、我々はある意味ストーリーテリングの被害者になっている。それが今の現実ですね。
そしてそれは、政治、商業的なものだけに止まらず、クリエイティブなストーリーテリングでも被害が出てきています。特に大手のスタジオが作る映画作品でその傾向が強い。要するに消費させるためのデザインをしていて、「こういう風に作れば売れる」という方程式に則って作られている。例えばアメリカのテレビシリーズの場合、ライターズルームというものがあって、そこでたくさんの脚本家が集まって一緒に脚本を作っている。まるで工場で組み立て作業をしているかのよう。そういう作り方をしているスタジオが多くなってきている。
昔は皆それぞれが語りたいストーリーがあり、それで映画を作っていました。それが今は量産体制になってしまった。特に配信作品の場合、観ている我々はまさに被害者だと思います。何が真実のストーリーテリングで何が作られたエンタメなのか。分からなくなってきていますね。