演じる側が作品に及ぼす“さじ加減”
Q:映画を観ている自分自身が登場人物への感情移入を拒んでいるような気がしましたが、意図したものはあるのでしょうか。
石井:意図的にしたということはないです。観る人の感覚次第だと思います。
Q:オダギリさん演じる堂島昌平には、観ていて拠り所を求めたい気持ちも出てくるのですが、それすらも許されない空気が映画を覆っていた気がしました。オダギリさんのキャスティングにはどのようなことを求められていたのでしょうか。
石井:オダギリさんと僕の関係には歴史がありますから。キャスティングには、突発的な「初めまして、よろしくお願いします」というものと、それまでの関係性上のストーリーがあるものの2パターンあって、今回は完全に後者。それまでの色々な経緯を踏まえた上でのオファーなので、詳しく話し合うような性格のものではない。僕はそう思ってますけどね。
『月』石井裕也監督
Q:オダギリさんからも監督に対して質問などはなかったでしょうか。
オダギリ:質問はなかったかもしれませんね。ただ、「監督が求めているものはこういうことなんだろうな」というのは何となく分かったので、それを胸に演じようと思っていました。
Q:現場では監督から「もっと明るくしてください」とオダギリさんに指示もあったようですが。
オダギリ:それは本当に僕の力が及ばなかったという話です。昌平というキャラクターの在り方に関して、監督のイメージは理解しているつもりだったんですが…、何ですかね…。作品に引っ張られてしまったというか、飲み込まれてしまったのかもしれません。僕が現場で感じていたこの作品の空気感と、監督が計算されていた空気感とに、何回かズレが生まれことがあって。本来は、監督にそんなところで引っかからせたくないんですけどね。ちょっと力が及ばなかったなと。後悔しています。
『月』堂島昌平役、オダギリジョー
石井:池松壮亮くんもそうですが、監督をやる目を持った俳優の感覚ってすごく信頼しているんです。「おかしの家」(15 TV)というドラマでオダギリさんとご一緒した時に、八千草薫さんの前でオダギリさんが少し泣くというシーンがあったのですが、僕は別に涙は見せる必要はないと思っていたんです。でもオダギリさんが「ここはちょっと涙が見えてた方がいいですよね?」って言ってくれたのをすごく覚えていて。それがきっかけになったかどうかは分かりませんが、オダギリさんの「演じる側からの作品に及ぼす“さじ加減”」というものを信用しているんです。だから今回も、僕はただ「明るくしてください」という言い方をしたのではなく、「これ以上明るくしたらどうなりますかね?」という言い方をしたんです。それで、オダギリさんの「ここまではちょっと無理だ」という限界値みたいなものを把握しようと。だから「もっと明るくしたかったのに、オダギリさんがやってくれなかった」みたいなことは全然思ってないですよ(笑)。