『野火』(14)そして『斬、』(18)で、戦争と人間、人を殺めることの恐ろしさを愚直なまでにストレートに描いてきた塚本晋也監督。最新作『ほかげ』もその流れを汲む作品だ。理不尽で凄惨な“戦争”という愚行が、何を人間に及ぼしてきたのか。終戦直後の闇市を舞台に、市井の人々を見つめることで、その苛烈な事実を浮き彫りにしていく。
近年の塚本監督は何故このテーマで映画を作り続けているのか? 自主制作にこだわる理由とは? テーマに込めた思いから映画作りのスタンスまで、たっぷり話を伺った。
『ほかげ』あらすじ
火と、その揺れに合わせて姿を変える影。その影の中に生きる人々を見つめ、耳をすます。女は、半焼けになった小さな居酒屋で1人暮らしている。体を売ることを斡旋され、戦争の絶望から抗うこともできずにその日を過ごしていた。空襲で家族をなくした子供がいる。闇市で食べ物を盗んで暮らしていたが、ある日盗みに入った居酒屋の女を目にしてそこに入り浸るようになり…。
今回は動画版インタビューも公開! あわせてお楽しみください!
Index
- 現代を覆う“そこの抜けた理不尽な恐ろしさ”
- 趣里、森山未來、キャスティングへの思い
- オーディションで選ばれた素晴らしい役者たち
- 海獣シアターで作る理由
- カメラテスト、編集ソフト選定、美術の“汚し作業”
- スコセッシと同じで嬉しかった
現代を覆う“そこの抜けた理不尽な恐ろしさ”
Q:なぜ終戦直後の話にしたのでしょうか。
塚本:「闇市」に対して、暗いイメージがありつつも憧れがありました。いつかは闇市を描いてみたいと思っていたものの、漠然と先延ばしにしていました。今はだんだんキナ臭い世の中になってきていて、何だか戦争の足音が近づいてきている。こういうタイミングでこそ闇市を描こうと思いました。
Q:最初は戦争映画の大きな企画が動いていたそうですね。
塚本:『野火』を作る際に資料として見つけてしまったものを、次は映画化しようと決めていたんです。大きなインパクトのある企画でしたが、規模も相当大きくなる。それでいつもの自主映画という形ではなく、映画会社と一緒に企画を進めていましたが、コロナで先送りになってしまった。この悶々としている間に何か先にできないかなと。それで、その大きな映画の後に作ろうと思っていたこの“闇市企画”を先に作ることにしました。
『ほかげ』© 2023 SHINYA TSUKAMOTO / KAIJYU THEATER
Q:塚本監督が小さかった頃は、傷痍軍人の方がまだ渋谷にいたそうですね。
塚本:当時は母親に連れられて渋谷の祖父母の家に毎日行っていたんです。その途中、今のマークシティあたりに井の頭線の高架下があったのですが、そこは大きな鉄のビスがはめ込まれた頑強な高架で、すごく暗いイメージがありました。そこで傷痍軍人さんや、敷物を敷き、全く不揃いのガラクタや拾ってきたようなオモチャを売っている人がいました。今思うとそれが闇市の名残だったんだろうなと。その景色が自分の中に大事な映像として残っている。目を凝らし耳を澄まし、その映像を見ながら物語を作っていけば、闇市や戦争のイメージに繋がっていくのではないかと。
Q:戦争の爪痕がまだ残っていたのでしょうか。
塚本:傷痍軍人の方はパリッとした格好をされていたので、生々しい戦争の傷跡みたいなものは、その方からはそこまで感じませんでした。当時は高度成長期の真っ只中ということもあり、そういう意味では戦後の闇市の名残というのはなかったのかもしれません。祖父母も両親も戦争の話をしなかったので、戦争があったという実感すらなかった。その感覚は今の若い人と同じですね。
Q:本作は『野火』『斬、』の流れを汲む作品とのことですが、戦争にフォーカスするようになったきっかけは何かあったのでしょうか。
塚本:『野火』も『斬、』も、この闇市企画も、随分前からいつかは撮りたいと思っていた作品でした。それがズルズルと先延ばしになっていたのですが、それがこの10年に全部入って来ちゃった。とにかくこの10年は世の中が心配になっちゃったんです。どうもキナ臭くて、次の世代のことが心配だなと。そういう意味では今の時代に作るのがぴったりなテーマだし、この時期に作らなければいけない。それでこの3本が連なった感じです。
Q:今まさに恐ろしいくらいに色んなことが起こりすぎてしまっています。
塚本:なんだか底が抜けちゃったような、理屈では追いきれない理不尽な恐ろしさが満ちている気がしますね。