2割のフィクション
Q:この映画の核心となるのが、ラストに出る字幕です。「この映画は7割の現実と2割のフィクション・・・」だと宣言し、この作品にはフィクションとして撮られたシーンが挿入されているとわかる。大きく3つの虚構シーンがあると思ったのですが、それは「…」と「…」と「…」ですね。(※該当箇所はあえて伏せています。ご了承ください。)
大島:まさにその3つが当たりで、実はもう1つある。それは「…」ですね。その4つのパートは僕が脚本を書いて、これをやってほしいと唐さんにお願いしました。
Q:脚本まで書いて渡していたんですね。「こういうシチュエーションでこういう流れで喋ってほしい」といったニュアンスを伝えたぐらいかと思っていました。
大島:シナリオを書きました。そのシナリオ通りに言ってくれていないところもあるんですけど。
Q:唐十郎さんは恐らく普段からいくつもの人格を演じている。大島さんはそんな唐さんに敢えて虚構を演じてもらうことで、映画を入れ子構造にして唐さん自身の演劇性をあらわにしたいのかなと思いました。
大島:全くそうですね。カメラがあるというのは特殊で異常な状況だから、他所行きの顔になるのは当然と言える。それは一般人でもそういうことがあり得る。例えば今日撮影があると言ったら髪型をちゃんとするとか、そういうレベルのことも含めて。
それが著名な人であればあるほど撮影に慣れていて、ある程度取材用の顔をもっている。だけど唐さんの場合はそれが飛び抜けて過剰に見えたし、それこそが彼の自己演出なのではないかと思えたんです。さらに言うとカメラがなくても唐十郎を演じているようなところがある。本当に不思議な被写体だったんです。それでドキュメンタリーの中に入っていても違和感がない、刺激的なシーンを作りたいと思い提案しました。
実際にやってもらったら唐さんが一番ナチュラルで、他の劇団員はすごくぎくしゃくしていました。
『シアトリカル 唐十郎と劇団唐組の記録』(C)いまじん 蒼玄社 2007
Q:唐さんが大島さんに怒るところも全て脚本ですか。
大島:あのシーンも脚本ですけど、唐さんのアレンジもあります。唐さんは上手い怒り方でしたね。
Q:被写体が撮影スタッフに怒るシーンは人物ドキュメンタリーだとクライマックスになる場合が多い。それをあえて脚本で作ってしまうのは、チャレンジングだなと思いました。
大島:「ドキュメンタリーとは何か?」ということを内包するような作品にしたいとは思っていました。
Q:17年前の初公開時の観客からの反応はいかがでした?
大島:面白いという人、戸惑う人もいました。山崎裕(撮影監督)さんは初日に見に来てくれて「ラストのテロップが全く不要、すごく野暮だ」と言われましたね。他にも何人かに「テロップは不要だ」言われたけど、あのテロップを入れないという選択肢は僕にはなかったんです。それは17年経った今でも変わりません。
Q:それはなぜですか?
大島:本当に7対2の配分かは分からないけど、脚本があったシーンと、なしで撮っているシーンを自分の中でちゃんと分けておきたいという思いですね。