鬼才・豊田利晃監督、7年ぶりの長編フィクション作品はまさかのSF。監督自身がプロデューサーを務め企画から資金調達まで担当した本作は、第三者という枷から解き放たれ、最高に研ぎ澄まされた作品に仕上がった。クールな表現と迸る熱情に毎度シビれさせられる豊田作品だが、今回はまさに何かを“超えて”きた感もある。
豊田監督、そして豊田プロデューサーは、いかにして『次元を超える』を作り上げたのか。話を伺った。
『次元を超える』あらすじ
孤高の修行者・山中狼介(窪塚洋介)は、危険な宗教家・阿闍梨(千原ジュニア)の家で行方不明になる。一方、謎の暗殺者・新野風(松田龍平)は、狼介の彼女・野々花(芋生悠)から捜索を依頼される。やがて、狼介と新野は法螺貝に導かれて狼蘇山で対面し、次元を超えて鏡の洞窟で対峙する。過去から現在、そして未来を駆け巡り、日本から地球、さらに宇宙に辿り着いた、彼らが見たものとは・・・?
Index
SF映画を撮りたかった
Q:SF要素が強くて驚きました。以前からSF作品を撮りたい意向はあったのでしょうか。
豊田:手塚治虫や大友克洋の漫画を読んで育ってきたので、いつかSF映画を撮りたいという気持ちはずっと持っていました。ただ、SFはどうしてもバジェットが掛かる。どういう物語だったら映画として作ることができるかなと。
仏教の経典などを読むと、宇宙と心の世界の繋がりについて書かれているんです。ただ、それをそのまま伝えると難しくて客も入らない。それどころか「こいつ頭おかしいんじゃないか」と思われかねない(笑)。そこをうまくエンターテインメントに出来ないかなと。手塚治虫や大友克洋はその辺うまいことやってるんですよね。そこを考えるところからこの映画が生まれました。最初は、誰も知らない惑星の中で展開する物語から考え始めて、それが徐々に崩れて今の形になっています。
『次元を超える』©次元超越体/DIMENSIONS
Q:今話された手塚治虫と大友克洋に加えて、キューブリック、ホドロフスキーなどの影響も感じました。意識されたものはありましたか。
豊田:その人たちはすごく好きですが、自分が作る時は真似しないようにしています。映画は自分の言葉や表現を積み重ねて出来たものなので、どこがどう影響されているのかは、自分ではわからなくなるんです。