監督することはコミュニケーション
Q:現場で芝居をつけているときは、自分の頭で想像していたものが具現化されている感覚があるのでしょうか。
玉田:ありますね。撮影前は想像しきれていないので、「こんな風になるんだ。ラッキー」となる(笑)。俳優がより良くしてくれる感じです。
Q:確かに現場では、「これは違うな」と監督が悩んでいる様子は見受けられませんでした。
玉田:「違う」と思う“質”によりますね。「これ伝わってないな」という場合は言い直しますが、イメージしていたものと違った場合は、単純に僕がイメージ出来ていなかっただけ。目の前にあるものが全てなので、「これはこういうことだったか」と。そうすると「これはこれで良いのかもしれない」という方向に頭がスイッチしているのかもしれません。
Q:話を伺っていると、“監督する”とはどういうことかがだんだん分かってきますね。
玉田:映画や演劇などの総合芸術はいろんな人と一緒に作るもので、監督だけでは作らない。小説だったら自分一人で書くとか、画家だったら自分一人で描くとか、そういうものはその人の才能のみで勝負する気がしますが、映画は極端に言うと監督は何も出来ない奴でもいい感じがするんです。あくまで僕の感覚ですが(笑)。「無能でもいい」と言うと言い過ぎかもしれませんが、基本的には優秀な人たちが集まってくれればそれで良い。その優秀な人たちが作った画や美術とかを見ると「なるほど、こうなるのか」となるわけです。それが自分のビジョンとあまりにも違いすぎたり、伝わっていない場合は言いますが、その範囲の中で意外なものが出てきたら、それはそれでいい。この座組でやることは、こういうことなんだと思います。

NORMEL TIMES ショートフィルム『遠い人』
Q:小説を書いたり、絵を描いたりすることと同じように、映画の場合も監督が自分の世界を一人で作っているように思いがちですが、監督の仕事としては、スタッフや俳優とのコミュニケーションも相当な比重を占めているのですね。
玉田:ほとんどコミュニケーションだと思います。全てを自分でコントロールするタイプの監督もいると思いますが、そうじゃない人もいっぱいいるかなと。
Q:監督と、演出や演技のことだけではなく、撮影技術のことや音楽など、全てにおいて分かっている必要もあるのでしょうか。
玉田:分かってなくてもいいです(笑)。「分かっていません」と言えばいいような気がしますね。実際、音楽のことなんて僕はあんまりわからないけど、わからない前提でいれば教えてくれますし、いろいろと提案もしてくれる。僕の場合は演劇から入ったので、映画のプロのスタッフたちちと比べると、明らかに映画の経験値が低い。そういう前提でのスタートだったので、余計に自分はわかっていないと思います。