舞台シーンをFIXで撮った理由
Q:『パッチギ!』や『GO』は激しい映画なので、どうしてもそのイメージが強く、今回の映画でも何か大変なことが起こるのではと、心配しながら観ていました。そこはある意味ミスリードさせられるのですが、「激しい出来事は起こらないな」と安心していると、最後に思いきり気持ちを持っていかれる。そこは驚きました。
山崎:やっぱり彼女たちの練習が積み重なっているからでしょうね。それが一つのベースとなってあの舞台に行くわけだから。その合間にこの家族の話が入ってくる。最後のダンスが象徴的な形で伝わったんだと思います。練習が生きているんだと思いますよ。
孫:「最後の舞台はFIXで撮ろう」と言ってくれたのは山崎さんですよね。
山崎:そうね。舞台には乗らないし手持ちでは撮らない。
孫:練習と同じような感じになってしまうからという理由でしたが、「山崎さん大丈夫ですか!?K-POPとか手持ちでガンガンやってますけど!」って(笑)。
山崎:「大丈夫、大丈夫」と(笑)。クレーンを使ったり、舞台に寄ったり引いたりする必要はないと思っていたんです。練習のシーンでは徹底的に彼女たちに距離感を詰めて撮りましたから。必死になって踊って、だんだん上手になっていくプロセス。特に恒那ちゃんは最初は本当に踊れなかったしね(笑)。あの子たちが一生懸命踊ろうとしているというのは練習で伝わっているので、大会では一つの完成したステージとして観てあげればいい。だから舞台を撮るんです。その舞台を家族と一緒に観ているような撮影ができれば、それでよかった。
あの子たちのダンス自体が一つの完成された作品。だから完成した舞台を作品として撮っている。そこにある種の尊厳が必要だと思ったんです。練習ではズカズカ中に入って撮っていますが、それは踊っている彼女たちに肉薄したいから。だけど舞台は舞台として「彼女たちが作り上げた作品」で良い。映画的にはそれでいいと思っていたんです。

『トロフィー』向かって左から、撮影監督:山崎裕氏、孫明雅監督
孫:現場では「舞台上で撮らなくていいんですか?」と思いましたが、でも、結果良かったと思います。
山崎:それでお父さんや家族たちの目線に近くなりますよね。彼らとも感情を共有しなきゃいけないわけだから、踊っている人だけじゃないんですよね。特に父親の新さんが踊りを見てどう受け止めるのか、それは言葉では表現できないけど、その気持ちを見せてあげないといけない。だから舞台の上で踊っているソヒの表情に寄ってもね。それは踊りじゃないですから。最近の舞台中継やフィギュアスケートでもカメラが寄りすぎる時があるんですよ。踊りが見たいのに、滑っているところが見たいのに、最近のカメラマンは顔にばっかり寄っちゃうから(笑)。
孫:その最後の舞台を撮っている時に、動き回って踊るソヒをタイト目に撮りたいとお願いしたのですが、やっぱりすごく難しくて。「これは競馬を撮るのと同じだ。もう競馬専門のカメラマンに頼まなきゃダメだ」って言われました(笑)。
Q:父親との確執や、日本人の友だちとの交流が物語の中心にあるように見えますが、並行して朝鮮舞踊の練習もずっと描かれていて、一見絡まなかった出来事が徐々に交錯していきます。
孫:そうですね。踊りがソヒのアイデンティティの変遷だと思うんです。最初はただ楽しく踊っているだけなのが、傷ついた時に変化が起こり、何となくアイデンティティが見つかった時に初めて踊れるようになる。そんなソヒの成長を踊りで表しています。その踊りの作品自体にも起承転結があるので、ソヒのそれまでの紆余曲折とリンクするようにしました。
山崎:踊りの中でソヒが紆余曲折している部分は、同じように撮っているように見えて実は変えているんです。例えば、彼女が先生から叱責を受けるところは、思い切ってアップ中心に撮っています。追い詰められているなという感じを出すために、アップを推して撮影したし、編集でもそれを推している。そこは監督の思いもあって、そのように変化をつけて撮りました。練習での彼女の悩みから、最終的に舞台で踊っているところまで、これは彼女の踊りのお話なんです。