(C)2014 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. All Rights Reserved. Distributed by Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC.
『ブルーベルベット』で開花した、デヴィッド・リンチの鬼才たりうる才能の片鱗
茂みの中にまん延する、隠れた“闇”の存在
リンチの作品にはお約束がある。例えば、分かりやすいところでいうと、ブルネット(黒髪)とブロンド(金髪)の美女だ。本作『ブルーベルベット』では、黒髪のドロシー・ヴァレンズ、金髪のサンディ・ウィリアムズという、ふたりの女性が登場しているし、以降のリンチ作品、『ロスト・ハイウェイ』『マルホランド・ドライブ』の中でも、黒髪と金髪という髪色の違いの女性が登場しており、リンチにとってある種のミューズとなっている。
また、リンチの作品の中では、電話というのも印象的だ。電話の向こうの相手は誰なのか、どういう人物なのかと、考えを巡らせることができるので、さらなる謎が生み出される。そうして大体の場合、登場する電話というのは、回転ダイヤル式の黒電話だ。サイドテーブルの上に黒電話、灰皿とタバコ、淡色のランプシェードが配置されている。これら空間デザインというのは、映画監督としてだけでなく、現代アートなど美術界でも活動しているリンチだからこその成せる業だ。
『ブルーベルベット』(C)2014 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. All Rights Reserved. Distributed by Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC.
そしてリンチの映画の中では、風になびくカーテンというのも、極めて印象的だろう。『ブルーベルベット』では、ドロシーの暮らす部屋のカーテンが意味ありげに映し出されるシーンがある。そのシーンがまったく唐突なので、どういう意味があるのか全く判然としない。恐らくではあるが、このカーテンという要素は、心の中、あるいは町の中の隠れた“闇”の部分を伝えているのではないか。
カーテンの向こう側を覗くという行為は、人間の中の暗部を覗くという意味の暗喩であって、風になびくカーテンというのは、そのカーテンの隙間から、向こう側の闇が入り込んできていることを示唆しているのだろう。要するに、『ブルーベルベット』では、青年ジェフリーの身に闇が迫っていることを意味しているわけである。
もっと分かりやすいところでいうと、映画冒頭、青年ジェフリーの父親が茂みに倒れ込むシーンだ。カメラは、その茂みの中にクローズアップしてゆき、暗闇の中で、グロテスクな甲虫のような生き物が、ゴソゴソとうごめくシーンがある。これも同じで、要は、足元まで迫っている闇を意味しているのだろう。
『ブルーベルベット』(C)2014 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. All Rights Reserved. Distributed by Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC.
また青年ジェフリーが例の耳を発見した時、切断された耳の穴の中に、カメラがクローズアップしていくシーンも、すべて同じだ。例えばリンチ監督の『ロスト・ハイウェイ』では、主人公フレッドが自宅の暗い廊下の中を突き進んでいくシーンがあるし、『マルホランド・ドライブ』では謎のブルーボックスを開けたとき、暗いボックスの中にズームしていく場面あるが、それらもすべて心の中の闇だったり、消し去りたい事実だったり、そういった類のネガティブななにかとして表現されているのだ。
また映画のラストでは、コマドリが昆虫(映画冒頭で闇を表現していた甲虫のようなもの)を食べている場面がある。コマドリというのは愛の象徴であるといわれており、この映画では闇に対抗する“光”として描かれている。映画のラストのシーンは、コマドリという光の存在が、昆虫、すなわち闇の権化を食べることで、闇は消え、光が訪れたという意味で描かれているのだろう。