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『マン・オン・ザ・ムーン』ジム・キャリーの名演技は如何にして生まれたのか。製作から18年を経て明かされた驚くべき役作りの深淵
2019.10.31
メビウスの帯のような構造となる2本の映画
『マン・オン・ザ・ムーン』は、生前のアンディ・カウフマンが現実と虚構の境目を曖昧にする「脱構築」的な芸風で人々を翻弄する人生を描く。
一方その映画のメイキングである『ジム&アンディ』では、映画内で描かれることを、ジム・キャリーが撮影の舞台裏でキャストやスタッフに対し、そっくりそのまま再現していたことを、我々は発見する。
世間を翻弄したアンディ・カウフマン、そのカウフマンを演じるために彼になりきり、スタッフやキャストをカウフマンと同じように翻弄するジム・キャリー・・・。
つまり観客は、『マン・オン・ザ・ムーン』と『ジム&アンディ』で、微妙に時間のずれた(実際のカウフマンが活躍した70~80年代と映画が撮影された1998年)位相でアンディ・カウフマンの人生を二度追体験するのだ。2本の映画はフィクションとドキュメンタリーという違いはあれど、一方がもう一つに隷属しない。例えるならメビウスの帯のような構造になっている。表がいつの間にか裏になり、そしてまた表となる・・・。
『マン・オン・ザ・ムーン』(c)Photofest / Getty Images
2作を観終わった時、多くの観客は「現実の人生とはそこまで確固たるものなか?」という実存的不安に襲われることになるだろう。それはジムのコメントによっても補強される。
「人は生まれながらにして国籍や人種、宗教などあらゆる抽象的な枠組みを与えられる。枠組みでその人が定義される。僕は枠組みに収まることを拒んだんだ。僕は漂っているだけでいい。アンディのようにね」
私たちは枠組みに囚われないジム・キャリーの超越的な演技で現実の深淵へと誘われる。その深淵を覗き込むのは恐ろしい。でも恐怖と快楽はいつも隣り合わせだ。だから私たちは俳優が役に没入する危険な演技に魅かれ続けるのかもしれない。
取材・文: 稲垣哲也
TVディレクター。マンガや映画のクリエイターの妄執を描くドキュメンタリー企画の実現が個人的テーマ。過去に演出した番組には『劇画ゴッドファーザー マンガに革命を起こした男』(WOWOW)『たけし誕生 オイラの師匠と浅草』(NHK)『師弟物語~人生を変えた出会い~【田中将大×野村克也】』(NHK BSプレミアム)。
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