デヴィッド・リンチ的「フィラデルフィア物語」
そもそもデヴィッド・リンチがこの映画の着想を得たのは、’70年代のはじめ。画家でもあった彼は、まず「背中から植物が生えている男の絵」を描き、そこからインスピレーションを膨らませて、『Gardenback(ガーデンバック)』というタイトルの脚本を書き上げた。これは、ある男が隣人の女性に色情を募らせると、それに呼応して昆虫がどんどん成長していく…というお話。リンチはこの奇怪なスクリプトを、映画製作者に資金を援助するアメリカン・フィルム・インスティチュート(American Film Institute、略称 AFI)に送りつけるのだが、AFIは「訳がわからん!」と助成金を却下(トーゼンだろう)。
そこでリンチは、「小さな男の子が、男の頭を鉛筆工場に持っていく」という、さらに輪をかけて奇怪なスクリプトを作り上げる。当然のごとく、またもAFIは「訳がわからん!」となるのだが、その中の一人がリンチの脚本に底知れぬ才能を見出し、助成金を援助するように主張。周りも渋々納得し、リンチは製作費をゲットすることに成功!かくして『イレイザーヘッド』と銘打たれた不思議な物語は、映画化に向けて動き始めることになる。
この時点でリンチには、すでに妻も子供もいた。学生時代からの恋人ペギーが妊娠したことをきっかけに、1967年に結婚。男のケジメとして籍を入れたものの、新進気鋭のアーティストとして羽ばたこうとしていた彼にとって、この結婚は決して望んだものではなかった。翌年、娘のジェニファーが誕生する。
『イレイザーヘッド』(c)Photofest / Getty Images
リンチが結婚生活を送ったのは、フィラデルフィアのフェアマウントと呼ばれる地域。犯罪と貧困が蔓延する、激ヤバエリアだった。デヴィッド・リンチは、こんな風に述懐している。
「街は恐怖に満ちていた。通りで子供は射殺されることもあった。私たちも2回は強盗にあい、窓が撃たれ、車が盗まれた」
さらには、こんなコメントも残している。
「フィラデルフィアは、貧困層のニューヨークのようなもので、奇妙な街だった。隣人の女性はいつも尿を漏らしていたし、完全な人種差別主義者だった。もう一人の別の隣人女性は、鶏のようにしゃがんで裏庭を歩き回り、『私は鶏だ!』と叫んでいた」
これが事実だったとすれば、ツインピークスも真っ青な魔境である。こんな街に、リンチは5年間過ごしていた。『イレイザーヘッド』の舞台はフィラデルフィアの工業地帯だが、彼にとってそこは恐怖の場所でしかない。この映画が有している鬱屈さは、デヴィッド・リンチ自身の環境がフィードバックされたものなのだ。