2019.11.26
各所で暗躍するプロデューサーのスティグウッド
製作過程で本領を発揮したのは、文字通りハリウッドのプロフェッショナルたちだ。まず、コーンの原作は『ジョー』(70)と『セルピコ』(73)の2本でオスカー候補となった一流の脚本家、ノーマン・ウェクスラーのよってリライトされ、ビー・ジーズやクリームのマネージャーを務める傍ら、映画やブロードウェー・ミュージカルの製作者としても知られるロバート・スティグウッドがプロデューサーとして参加した。
ビー・ジーズの起用は、勿論スティグウッドのアイディアだった。パリでライブアルバムをミキシング中のビー・ジーズを訪れたスティグウッドは、まずは、ウェクスラーの脚本を読むよう彼らに指示するが、すでにビー・ジーズは、映画の冒頭で流れる”ステイン・アライヴ”を始め、タイトル・チューンの”恋のナイト・フィーバー”、”愛はきらめきの中に”等、何曲かを用意していたという。
ビー・ジーズ「ステイン・アライヴ」PV
3日後、映画で使用されるすべての曲のデモバージョンがロンドンで待つスティグウッドの手に渡り、それらはダンスシーケンスの振り付けと撮影のために使用される。だが、これには前段があって、 ジョン・トラボルタによると、当初、ダンスシーンに使われていたのは、スティービー・ワンダーとボズ・スキャッグスだったという。
これは事実のようで、トニーとダンスパートナーのアネット(ドナ・ペスコウ)がダンスのリハーサルをするシーンで、スティグウッドはスキャッグスの”ロウダウン”を使用する予定だったとか。1976年に発表したアルバム”シルク・ディグリーズ”を代表するヒットチューンである。
しかし、スキャッグスが所属するコロンビア・レコードは『ミスター・グッドバーを探して』(77)に”ロウダウン”を使用する予定だったために、許諾を出さなかった。もし『サタデーナイト・フィーバー』に使用許可が下りていたら、スキャッグスの手元には結果的に300万ドルのロイヤリティが渡っていたのだが、後の祭り。勿論、”ロウダウン”はダイアン・キートンがブレイクスルーするきっかけになった映画の雰囲気作りに、大きく貢献している。
ビー・ジーズにアプローチする一方で、スティグウッドは監督の交代劇にも関わっている。当初から監督に決まっていたのはジョン・G・アビルドセンだったが、撮影に入る3週間前にスティグウッドとの間に亀裂が生じ、現場から去ることに。亀裂の原因は、よくある「クリエイティビティ上の相違」である。
そこで、スティグウッドはTVシリーズで手腕を発揮していた ジョン・バダムにメガホンを託す。映画に頻繁に登場するトニーの部屋の壁に、アビルドセンのオスカー受賞作『ロッキー』(76)のポスターが貼られているのは、スティグウッドのせめてものエクスキューズだろうか。
『サタデー・ナイト・フィーバー』 TM & Copyright (C) 1977 Paramount Pictures. All Rights Reserved.TM, (R) & Copyright (C) 2013 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.
不思議なことに、『サタデーナイト~』続編『ステイン・アライブ』(83)を監督したのはロッキーのシルベスター・スタローンであり、トニーの部屋にもう一枚貼られている映画『セルピコ』(73)の監督に当初決まっていたのもアビルドセン。その時も、彼は同じ理由で監督をシドニー・ルメットに譲っている。トニーの部屋に貼られている因縁のポスターたちは必見だ。