アンファン・テリブルとアンファン・ヴェイヤールからの脱却
ジャン=イヴ・エスコフィエが指摘しているように、レオス・カラックスにとって『ポンヌフの恋人』は、自身の本来の年齢、若さへの初めての回帰といえる。23歳のときにカンヌ国際映画祭で上映された長編デビュー作『ボーイ・ミーツ・ガール』(84)以降、レオス・カラックスは、フランス映画のアンファン・テリブル(恐るべき子供)であり、同時にアンファン・ヴェイヤール(老成した子供)だった。本作を完成させることで、レオス・カラックスはその両方から脱却し、ポンヌフ橋を若さの生と死の“モニュメント”にすることに成功している。
本作のラストに関して、ジュリエット・ビノシュがハッピーエンドを強く望んだことはよく知られている。どのような形か詳細は不明だが、ジュリエット・ビノシュとジャン=イヴ・エスコフィエによると、ラストシーンの原案に関しては元々ハッピーエンドであり、2人は強く魅せられていたという(これはレオス・カラックスの主張と食い違っている)。困難を極めた撮影のせいか、人間関係の変化のせいか、レオス・カラックスは悲劇的なラストを望むようになる。ジュリエット・ビノシュは、ミシェルが死ぬ悲劇的なラストが自分への復讐のように思えたという。しかし、レオス・カラックスはジュリエット・ビノシュの意見を最終的に受け入れている。それはレオス・カラックス自身が誇りを持っているように、ジュリエット・ビノシュをはじめ、この映画に関わった全員へのプレゼントであり、正しい選択だったと思える。『ポンヌフの恋人』は「アレックス3部作」の冒険に終止符を打つ作品であり、3部作の中でもっともこのスタッフ、キャストでしか成し得ない“烙印”が押されて然るべき作品だからだ。ジュリエット・ビノシュの意見を受け入れることで、レオス・カラックスはアンファン・テリブルからもアンファン・ヴェイヤールからも脱却し、本来の自分の年齢の感覚に近い、“若い映画”を完成させることができたのだろう。それは若さの終わりを受け入れることでもある。皮肉にもレオス・カラックスとジュリエット・ビノシュの恋愛関係は、本作を最後に破局を迎えてしまうことになるのだが。

『ポンヌフの恋人』4Kレストア版 © 1991 STUDIOCANAL - France 2 Cinéma
アレックスとミシェルが雪のポンヌフ橋で再会するシーン及び、橋の上からの落下のシーンは、ドニ・ラヴァンとジュリエット・ビノシュの演技だけでなく、レオス・カラックスの演出とジャン=イヴ・エスコフィエの撮影、ネリー・ケティエの編集による至上のアンサンブルの賜物といえる。鐘の音が鳴る。ミシェルがアレックスに帰ることを告げる。裏切られたと感じたアレックスが、雪を踏みしめながらミシェルの方へずんずん向かっていく際の一連のカット割りの流れ、タイミングの、息を呑むような素晴らしさ。そして無重力空間としての水中シーン。ミシェルはセーヌ川の水中で目を覆う仕草を見せる。アレックスとミシェルは“瞳を洗い流す”。お互いを見つめる。重力から解放された世界で、2人は瞳の中に瞳があることを発見する。そしてこの映画は美しいラストへ向かっていく。
冒険の終わりであり、若さの終わりを受け入れた映画。『ポンヌフの恋人』は、若さのスピードに眩暈を覚え、その終わりを受け入れることで、むしろ次なる人生への勢いを加速させていくような映画だ。人生の向こう側へ。すべてが強烈な発光点へと向かっていく。本作の発表時に、レオス・カラックスは、次のような言葉を残している。この言葉に込められた願いは、本作に駆け付ける現代の、そして未来の新しい観客たちのために向けられている。
「20年後、30年後に再び見ることができ、何らかの痕跡を強く残すことができる唯一のもの。その不完全さは、生き生きとしていて柔軟性があります。私がいなくても成長できるほどリスクの高い映画なのです」(レオス・カラックス)*2
*1 [Cahiers du Cinema Hors-Serie 1991]
*2 [Les Inrocks , Leos Carax : à l’impossible, on est tenu]
映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。
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© 1991 STUDIOCANAL - France 2 Cinéma