2020.01.11
「本物」にこだわった驚異の映像、渾身の演技
そして、映像面で重要な約束事だったのが「本物」であることだ。製作陣のファースト・チョイスだったというデイモンとベールは、「演じる」以上の役割を求められた。
ベールにおいては、合衆国副大統領ディック・チェイニーを演じた『バイス』(18)で増量した身体を役柄に合わせて絞る必要があり、約30kgを7ヶ月で落としたとか(ちなみに、デイモンがベールに減量方法を聞いたところ、「食べなかった」という答えが返ってきたという)。その後、マンゴールド監督の「できるだけ自分で運転してほしい」という要望に応えるため、ベールは1週間かけてスタント・ドライバーたちのもとで修業を積んだという。ちなみにデイモンは、人生初となるパーマをかけたそうだ。
『フォードvsフェラーリ』(c)2019 Twentieth Century Fox Film Corporation
このような前準備を役者陣にさせただけでなく、本作をいぶし銀の存在にまで高めた立役者、ジェームズ・マンゴールド監督は、実に挑戦的な方法を講じている。作品を実際に観てみると気づくが、デイモンとベールの表情のアップがかなり多いのだ。そのくせ、セリフはそこまで多くない。レースシーンでは、ベールは運転する者として、デイモンは見守る者として、表情だけで緊張感や焦燥感、その瞬間瞬間の感情の機微を余すことなく表現せねばならなかった。
俳優側からすれば、ずっとアップで撮られているのはかなりのプレッシャーであっただろう。もちろんそれは、マンゴールド監督が彼らに寄せた厚い信頼の裏返しだが、他の映画ではなかなかお目にかかれないほど頻繁に「画面のほとんどが役者の顔」状態が続く。
ただ驚異的なのは、その演出が全くもってノイジーでないどころか、刻一刻と戦況が動くレースの緊迫感とリアルタイム性を効果的に示してしているということだ。目をかっと見開いたベールの表情からは勝負どころを逃すまいとする野性味がギンギンに漏れ出ているし、口を真一文字に結んだデイモンからは、頭脳をフル回転させて次の一手を探る勝負勘が伝わってくる。そして2人の表情が交互に映し出されることで、命がけのレースだということが観客の脳裏には克明に刻まれていく。
『フォードvsフェラーリ』(c)2019 Twentieth Century Fox Film Corporation
そして、肝心要のレースシーンも、一切妥協がない。数年かけて脚本を練り上げたマンゴールド監督が「本物」にこだわり、VFXに極力頼らないように作り上げた映像は、開始直後から観客をレースの只中に引きずり込む。
マンゴールド監督は『17歳のカルテ』(99)、『ニューヨークの恋人』(01)、『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』(05)、『3時10分、決断のとき』(07)、『ウルヴァリン: SAMURAI』(13)など、ジャンルを横断して作品を作ることのできる希少な存在だが、ここで『LOGAN/ローガン』を思い返していただきたい。
あの作品の序盤で展開する『マッドマックス』感あふれるカーチェイスシーンの生の迫力は、映画ファンを驚かせた。土ぼこりを巻き上げ、野獣のように爆走する車の美しき凶暴性。今思えば、あの時点で『フォードvsフェラーリ』につながる「リアリティにこだわったカーアクション」は確立されていたのかもしれない。
本作ではより一層進化したうねるような地面すれすれのカメラワークや、カメラに車体がぶつかりそうになるほどの攻めた位置取り、そして地の底から湧き上がるような走行音などが、視覚と聴覚に絶え間なく訴えかけ、過酷なレースを眼前に、立体的に現出させる。
演技、映像、ドラマ、それら全てのハイブリッド――。極論、本作がアクション的な見せ場のない「実録ドラマ」であったり、映像のみを売りにした「レース映画」であったら、ここまでの成績も評価も得られなかったに違いない。本物のレースと血肉の通ったドラマを両立させた『フォードvsフェラーリ』は、賞レースを争うにふさわしい1本だ。
文: SYO
1987年生。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクション・映画情報サイト勤務を経て映画ライター/編集者に。インタビュー・レビュー・コラム・イベント出演・推薦コメント等、幅広く手がける。「CINEMORE」「FRIDAYデジタル」「Fan's Voice」「映画.com」「シネマカフェ」「BRUTUS」「DVD&動画配信でーた」等に寄稿。Twitter「syocinema」
『フォードvsフェラーリ』
2020年1月10日(金)全国ロードショー
配給: ウォルト・ディズニー・ジャパン
(c)2019 Twentieth Century Fox Film Corporation