『羊たちの沈黙』ジョディ・フォスターとジョナサン・デミが作り上げた、新たな女性像

PAGES

2020.03.18大森さわこ

デミのパフォーマンス感覚を体現したアンソニー・ホプキンス

　物語の鍵となるレクター博士を演じているのは、英国の演技派男優、アンソニー・ホプキンスである。この映画が作られた頃、ホプキンスはハリウッドでは特に有名な男優ではなかった。シェイクスピア作品などにも出演する舞台男優で、それまで『遠すぎた橋』（77）、『マジック』（78）、『エレファント・マン』（80）、『バウンティ』（84）などの出演作もあったが、どちらかといえば地味な印象の演技派男優だった。

　しかし、そんなホプキンスこそが、自分にとってのレクターである、とデミは信じていた。英国の出版社から出ているホプキンスの評伝本“Anthony Hopkins:In Darkness and Light”(マイケル・フリーニ―・キャラン著、パンブックス刊）によれば、当時、ホプキンスのところには2本のハリウッド映画の出演依頼があったという。

　一本はマイケル・チミノ監督、ミッキー・ローク主演の『逃亡者』（90）、もう一本が『羊たちの沈黙』だった。ハリウッドのメジャーなヒット作に出演することが夢だったホプキンスはチミノ監督との仕事により大きな期待を抱いていたという。チミノの『ディア・ハンター』(78)を評価していたからだ。

『レッド・ドラゴン』予告

　しかし、意外にも彼の期待は『羊たちの沈黙』の方でかなえられた。この映画でアカデミー主演男優賞を獲得。その後、『ハンニバル』、『レッド・ドラゴン』（02）でも同役を演じている。

　レクター役は彼の人生を変え、その後はハリウッドでも活躍する名優となり、『日の名残り』（93）、『ニクソン』（95）でもアカデミー主演男優賞候補、『2人のローマ教皇』（19）では同賞の助演男優賞候補となっている。

　デミは『エレファント・マン』で医師を演じたホプキンスの演技が気にいっていて、レクターの可能性を見出したという。「でも、あの医師は善良な男だ」とホプキンスが言うと、「それこそ、僕がレクターに求めているものだ」とデミは答えたという。

『エレファント・マン』予告

　天才的な頭脳と知性を持ちながら、残忍なカニバリストでもあるレクター。しかし、そんなおそろしい人物も、善良さを秘めたホプキンスが演じることで別のニュアンスが出せる。デミはそう考えたようだ。

　この映画の中でホプキンスは狭い独房の中にいるため、ほとんど体を動かすことがない。直立不動のポーズを保ち、ひたすら謎かけのような言葉を口にする。舞台で鍛え上げた男優だからこそ、こうした演技が可能だったのかもしれない。

　この映画のレクター像を見ていて思い浮かぶのは、デミ監督の『ストップ・メイキング・センス』（84）に登場するデイヴィッド・バーンのパフォーマンスである。ニューヨークの知性派ロックバンド、トーキング・ヘッズの公演をとらえたライブ映画の傑作だったが、冒頭でバーンがギターを弾きながら歌うのは＜サイコキラー＞。連続殺人鬼の悲哀がユーモラスに語られた異色の名曲で、白っぽいコスチュームを着て、体をくねらせるバーンの姿が強烈なインパクトを残す。

　『羊たちの沈黙』のレクターにも独特のパフォーマンス感覚がある。特に忘れられないのは、檻に入れられたレクターにラム料理を持ってくるふたりの警官とのやりとりの場面だろう。その時、レクターはカセットテープから流れてくるバッハの「ゴルドベルグ変奏曲」を聴いているが、惨劇の後、その曲に合わせて体をゆらす。このパフォーマンス感覚はコンサート映画も得意なデミならではだと思う。『羊たちの沈黙』でレクター博士は独房の中で挑発的なショーを演じてみせたのだ。

　狂気を漂わせながらも、独特のカリスマ性で見る人を魅了するレクター。03年にAFIが選んだ＜歴代の悪役ランキング＞でレクターは1位に選ばれている。ちなみにホプキンス自身は「獲物に忍び寄る猫のような人物」とレクターを評しているが、確かにレクターはネコ科の生き物に見える。

ヒッチコックも意識したデミのミステリー演出

PAGES