スリルも笑いも渾然一体となったシャマラン・ワールド
シャマラン自身も、自分の映画術について“笑い”が非常に重要な要素だと語っている。一見、唐突に思える局面で観客を笑わせることで、観客の先入観をリセットして、次に何が起きるかわからない宙ぶらりんの状態に持ち込む。それによって、観客がより新鮮に作品を楽しめるというのがシャマランの考え方なのだ。シャマランは「ただ怖がらせるだけのホラーは、観客を拷問しているようなものだ」とさえ発言している。
『アンブレイカブル』は、一見すると非常にシリアスな映画だと勘違いされがちだ(その点ではデヴィッド・フィンチャーの『ゲーム』(97)にも似ている)。「不死身」にまつわる荒唐無稽な設定を脇に置けば、夫婦や家族のすれ違いを丹念に描いた人間ドラマであり、パトリス・ルコント監督とのコラボで知られる撮影監督エドゥアルド・セラによるダークだがリッチな映像美にも目を奪われずにいられない。イライジャがアメコミ的ヴィランの”ミスター・ガラス”であることを暗示するガラスへの映り込みや、演技を途切れさせることのない長回しの多用も、本作の不穏な質感に貢献している。
『アンブレイカブル』予告
ただし、シャマランは決して短絡的なイメージだけで割り切れるような映画を作ったりはしない。ひとつの作品に、笑いや恐怖や感動やギミックが、幾層にも重なって構築されている。その意味において、『アンブレイカブル』はシャマラン流の映画術が詰まった見本市なのである。われわれ観客は、事前の情報や先入観でつい目を曇らせてしまいがちだ。しかし『アンブレイカブル』は、余計なものに惑わされず、「いま観ている作品を信じる!」という映画鑑賞の極意を教えてくれる素晴らしいサンプルなのですと、シャマラン映画を愛するファンのひとりとして断言しておきたい。
取材・文:村山章
1971年生まれ。雑誌、新聞、映画サイトなどに記事を執筆。配信系作品のレビューサイト「ShortCuts」代表。
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